18章 無駄な努力 (1/4) ~ 武器商人の家

18 無駄な努力

 

 

プリモスの翼がハゲタカのように旋回している空の下。カラスは銃を構え、アシュラムの首にナイフを突きつけているイスタファの頭にねらいをつけていた。望みは一度きり。外したら最期だ。

カラスは引き金を引いた。……が、なにも起こらない。

「弾切れみたいだな。マヌケ野郎」

イスタファは手をかざして、

「死ね!」

と叫んだ。

カラスは危険を察知して、欄干から身を投げた。海面に落ちると、できるだけ深く潜りながら離れていく。水を掻くのに邪魔くさいので銃は捨てた。必死で泳いで後ろを振り返ると、暗い水中で、紫色の光線が雨のように降り注いでいた。その光の雨が止むまで待ち、急いで水面に浮きあがって我慢していた息を吸った。

船からあがる煙に炎が反射して、夜空が妙に明るかった。プリモスの翼が旋回をやめて遠ざかっていく。イスタファとアシュラムの乗った始祖鳥も飛んでいくのが見えた。

近くの無人島に降りたら、そこまで泳いでいってやる。

そう意気込んで始祖鳥を目で追っていたが、鳥は目視できないほど遠くまで飛び去ってしまった。

燃え盛る船とともに、カラスは海上にとり残されてしまった。船はもうすぐ沈没しそうだったので、巻きこまれないように離れた。一番近い小島まで泳ぎきり、岩棚によじ登って船のほうを振り返った。

巨大なかがり火と化した船が、上空に火の粉を散らしながら、徐々に黒い海に飲みこまれていく。船体が完全に沈んで見えなくなってしまうと、海はまた何事もなかったかのように、もとの静寂と暗闇を取り戻した。海上を漂う煙を月明かりが照らしている。

一息ついて、ハザーンからテレパシーで伝えられたことを考えた。

俺がザレスバーグで拷問されなかったのは、ティミトラがかばったからだ。考えてみれば簡単なことなのに、なんで言われるまで気づかなかったんだろう。いくら国のために働いてる人間とはいえ、彼女は自分の愛娘の命まで王に差し出すほど愛国心の塊ではない。ララを取り戻すために、前もってかつての部下たちと話しあってたはずだ。ついでに俺のことも。

謎が解けると、急にザレスバーグでの彼女とのやり取りを思い出して、自己嫌悪に陥った。

黒幕の武器商人と手を組んでいたのはイスタファで、すでに奴の口から彼女の正体がバレてしまっているかもしれない。武器商人の名前はリュンケウス。リチェとともに戦った英雄リュンケウスが、今ではプリモス兵器を売る死の商人であるということは、トゥミス国民ならだれでも知ってることだ。

ティミトラとリュンケウスの個人的なつながりが気になる。

だが今はそのことを考えている暇はない。彼女の安否はわからないが、正体がバレたら命取りだ。急いで行けば、まだ助けられるかもしれない。敵の本拠地がトゥミスなら、アシュラムだってそっちに連れていかれたのかもしれない。

目的地は決まった。
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18章 無駄な努力 (2/4) ~ 不意打ち

 

断崖の上の草地には、意外にも警備は一人も立っていなかった。そのかわり中に侵入できそうな窓は一つもなく、正門らしき黒い扉は固く閉ざされていた。背の高い扉は奇妙な文様で埋めつくされ、歯車のようなものが周囲にあって、入り組んだ管や線が、血管のように四方に広がっている。わかりやすい取っ手や鍵穴はなく、かわりに扉の脇に、なにかの記号が規則的に刻まれている部分があった。触ってみると、記号がうっすら薄紫色に光った。

どこかで見覚えのある形だ。エンゾの湖畔で殺した男の覚え書きにあった、古代文字と似ている。あの覚え書きはザレスバーグで捕まったときに荷物と一緒にとられてしまったが、書いてあるのは四文字だけだった。脳みそを絞って、どんな形だったか思い出す。

試しに似ている記号を探して指でなぞってみると、古代マヌ語で『地獄』という単語が、今度は赤く光った。

歯車がまわりはじめ、重そうな扉がゆっくりと、ひとりでに開いていく。落日の黄色い光がまっすぐ床に差しこみ、細長い光の帯の中に、いやに黒々とした自分の影が伸びていった。

中は一面プリモスの黒い床と天井で、まっ暗ながらんどうだ。もう人のものなのだから、もう少し人の気配があって、明かりくらいついてるのかと思った。とりあえず見える範囲に目を凝らすと、入り口の横に松明とマッチが置かれているのだけは見つかった。カラスは魔の森でやったように目印を残していくことを思いつき、ポケットいっぱいに小石を集めてから、先に進んでいった。

古城の中は迷路そのものだったが、今はその奥深くに踏みこんでいくことに恐怖を感じない。それくらい神経が昂り、逆立っていた。興奮で血が沸きたち、ゾクゾクする。漆黒の闇の中でも、カラスの目は夜目がきく狼のようにギラついていた。

分かれ道のたびに、小石を一つ目印に置いていく。歩きだしてから数分とたたないうちに、曲がり角で怪物に出くわした。ぬめつく肌にブタ鼻をした化け物が二体、斧とボーガンを手に襲ってきた。

カラスは手前にいた怪物の目に松明を突っこみ、二体同時に電撃を放った。怪物たちは電流をくらって少し痙攣したが、それだけで簡単に失神して倒れたりはしなかった。けれど魔法には鈍感でも、怪物たちの動きはあまり素早くない。カラスは目を焼かれてもがく怪物の頭をねらって、刀でとどめを刺した。そのあいだに少し奥にいた一体が、矢を放ってくる。カラスは敵の巨体を盾にしてよけ、次の矢が放たれる前に、射手のうなじに刀を振りおろして、焼けこげるまで放電した。

カラスは動かなくなった敵の体で、刀についた悪臭のする緑色の粘液をこそげ落とした。魔力を使ったせいで一気に疲れが増し、息を切らして両膝に手をつく。道はあいかわらず何本にも分かれていて、目印もなにもない。でも門番がいるということは、やっぱりその方向になにか守りたいものがあるんじゃないのか? 垂れてきた汗を拭うと、カラスは敢えて怪物が来た方向に足を進めた。
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18章 無駄な努力 (3/4) ~ レネの兵器

 

扉の先にあったのは、今までいた広間とはまったく別の空間だった。まっすぐのびた通路の両脇に、紫色のかがり火が等間隔に並んでいる。が、中が明るいのはかがり火のせいだけではなさそうだった。光源はほかに見当たらないが、日の光の下で見るのと同じような色でものが見える。まわりに壁はなく、ただなにもない暗闇が広がっているように見えた。

通路の先には円形になっている場所があり、そこに三つの人影があった。

中央にいるのは、マヌ王とまったく同じ装いをした三つ目の子供。顔に妖怪じみた化粧をして、服には孔雀の羽、頭には雄牛の角のような黄金の王冠をのせている。その左隣には、影のようにまっ黒な服とマントをまとったトゥミスの貴族風の金髪の男。右隣には、頭に包帯を巻いて紫色のマヌの民族衣装を着た男が立っていた。

子供だけはプリモス製の背の高い椅子に座っていた。脚が床に備えつけになっている。第三の目があるということは、これがクレハなのだろう。すると、金髪の男がリュンケウスなのか。リチェと大して歳は違わないはずなのに、ずいぶん若く見える。もう一人の包帯の男は──……

目をこらしてすぐ、それがアシュラムだということに気づいた。

怒り狂って頭に血が昇っていたところを、ふいに後ろから強打されたような気分だった。

「なんで、おまえがここにいるんだ?」

問いかけてから、イスタファに連れてこられたのかもしれない、と思った。捕われているんだ、たぶん。

でも、アシュラムは身体的な拘束は受けていない。縄でしばられたり、手錠をかけられたりもしていないし、金襴の帯に、一度取りあげられたはずの二本の刀をさしている。

貴人が目下の者と謁見するときのように、三人はカラスが前に進み出てくるのを待っていた。円形の床の中ほどでカラスが立ち止まると、貴族風の男が笑顔であいさつした。

「ようこそ。イスノメドラの弟子」

友好的な口調だが、うわべだけだろう。

「アシュラム……、なんだよこれ?」

アシュラムの表情は硬い。かといって、助けを求めてもこなかった。

「よく来たな。船でイスタファに殺されたかと思ってた」

「どうしてここにいるんだよ?」

「見てわからないか?」

「わかんねえよ!」

カラスが叫ぶと、アシュラムの口もとに、微笑が浮かんだ。なぜ笑う? からかってんのか?

「クレハを誘拐させて、魔石を盗んだのは俺だ」

一瞬、言ってることが理解できなかった。混乱しながら、頭の中を整理してみようとする。

「……それじゃ、イスタファとぐるだったのか?」

「いや。彼は俺を止める側だ。俺はヴァータナ宮殿で赤い石を偽物にすり替えて、本物は隠し持ってた。でもティミトラの推理と違って、魔石を持ち運んでたのはトゥミスにつづく新しい国道に入るまでだ。国道沿いの最初の宿場町で、おまえたちが寝ているあいだに、書簡に入れて早馬でトゥミスに届けさせた。船から連れ出されてから、イスタファから本物の魔石のありかを聞かれて、もう片方の耳もなくなったよ。しらを切り通したけどね」

俺もララも、石が偽物だということに全然気がつかなかった。偽物を用心して服の縫い目の中に隠してたなんて思ったら、馬鹿みたいだと思った。

「魔石は今、この神王の玉座にはめこんである」

アシュラムはそう言って、クレハの座っている玉座の背もたれの一部をなでた。クレハの頭上あたりに、青い石、黄色い石、緑の石、そして奪われた赤い石がはめこまれていた。四つの石は普段より強い輝きを放っている。
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18章 無駄な努力 (4/4) ~ どん底

 

 

床の下にはなにもなかった。

下から見あげると、入ってきた扉の先に床は見当たらず、鍵穴型の床が、なんの支えもなく空中に浮かんでいるのがわかった。

ここはこの世ではないようだった。かと言って、まだ痛みは残ってるから、あの世でもない。

中途半端で、宙ぶらりんな場所なのだ。

一歩間違えば、どっちにも転がる。

どちらか決める時はもう過ぎてしまい、今は底なしの闇の中を止めどなく落下していた。

明かりはないのに自分の体は見える。

傷口を押さえていないと、はみ出た腸が飛び出してしまいそうだった。

最悪だ。

恋人を無惨に殺され、友人にも裏切られた。

どうして、こんなことになってしまったんだろう?

人一倍用心してたはずなのに、なぜよりにもよって一番最悪な人間を信じてしまったのか?

気づくチャンスはいくらでもあったのに、取り返しがつかなくなるまで気づかなかった。

間抜けなのは今にはじまったことじゃない。両親や伯父、ありんこのときもそうだった。

正しい言い分を信じないで、間違った言い分を信じ、石は偽物だと気づかなかったし、銃を撃とうとすれば弾が出ない。仲間だと思ってたのは最低の奴で、守りたかったものは失ってしまった。

そんなボンクラな自分が嫌だった。この世から消えてしまいたかった。リチェの頼みを引き受けたときだって、もとはと言えば、俺はクズじゃないって証明したかったんだ。先生は死んでしまったけど、俺の魂は腐ってないって証明したかった。

なにか変わるんじゃないかと思ってた。

だけど、そんなこと、どうでもよかったんじゃないのか? 俺の人生なんてこんなもんだって、わかってたはずだ……。

苦悩も、痛みも、もうじき終わる。

長いような短いような二十二年の人生が、走馬灯のように浮かんでは……こない。

頭に浮かんだのは、みじめな少年時代でも、さまざまな美しいものや汚いものを見た長い旅の記憶でもなく、ここ数か月間のことだった。ララと過ごした楽しかった日々……。

それも永遠に失ってしまった。

カラスは指に絡んだ黒髪を握りしめ、呪いの言葉を口にした。

おまえを呪ってやる。

俺の苦痛を分けてやる。

さんざん苦しみ抜いて死ねばいい。

監獄塔にいた両目のない囚人みたいに、『殺してくれ』と言いたくなるまで苦しめばいい!

堕ちつづけ、自分の血と痛みを味わいながら、呪いの言葉を唱えつづける。そしてつかんでいた髪を、いつものように犬の死骸の口に突っこむかわりに、自分の口に突っこんだ。

ここには呪術に必要な道具もないし、魔法の効かない相手だが、神様でも悪魔でもなんでもいいから、俺の願いを聞いてくれ。

そのとき、不思議な声が話しかけてきた。

『呼んだか?』

耳元で囁かれているようにも、耳の中から聞こえるようにも感じる。

──だれだおまえ?

『私はおまえの〝憎しみ〟だ。おまえが呪いをかけるとき、私はいつもそばにいた。可愛い息子よ。私の牙にかかったときから、おまえは私のものだった。今まで何度も助けてやったのに。これは私を拒んだ罰だ』

カラスは薄れゆく意識の片隅で、失われた記憶の断片を取り戻した。

伯父の屋敷を抜けだして、裸足で森を逃げまわった夜、俺は狼に咬まれた。追っ手に見つからないように隠れた茂みの中に、狼がいたんだ。そいつは俺を助けてくれると言った。

やっと思い出した。先生が言ってた、俺に取り憑いてるとかいう悪霊の正体……

『また私を受け入れるなら、もう一度、おまえに生きる力をあたえてやる』

死にゆく体は黒い霧になり、服だけを残して、周囲の闇に溶けて消えてしまった。

最終章 ユニコーン (1/3) ~ 無邪気な世界

19 ユニコーン

 

 

目の前がまっ暗で、なにも見えない。

だれかが私を呼んでいる。

必死の呼びかけに、答えようとするのに、声が出ない。体も動かない。

呼んでいるのはだれだろう?

なんとかして目を開けようとして、急に光が見え、目がくらんだ。

「ララ、大丈夫?」

そう心配そうに声をかけてきたのは、セトだ。

まぶしさに目が慣れてくると、気遣わしげに覗き込んでいるセトの表情が、はっきりとわかった。その背後には、赤や黄色に色づいた木々が、青い空にむかって宝石のような枝葉をのばす、懐かしい森の景色が広がっていた。温かな昼の日差しが、セトの金色の髪と、ふっくらとしたバラ色の頬を照らす。セトは絞ったばかりの山羊の乳の入ったバケツを脇に置いて、地面に倒れているララの隣に膝をついてかがんでいた。

「うちに帰ってきたの……?」

ララが寝ぼけた声を出すと、セトは驚いて、

「帰ってきたって、最初からここにいるよ! ほんとに大丈夫? 転んだ拍子に頭を強く打ちすぎたのかも」

ララは体を起こし、すっきりしない頭をさすってみた。手を見ても、血がついたりはしていない。

「怪我はしてないみたい」

「先生に見てもらう?」

「大したことないよ」

そう言って、土や木の葉を払いながら立ちあがると、生い茂った草のあいだで動きまわっている白い生き物が目に入り、はっとした。

「チッチだ!」

小さな白い毛玉のような仔ウサギが、家の裏手の薪割り場のほうにむかって、飛ぶように走っていく。抱いていたのが、転んだときに逃げたのだ、と思った。押し潰してしまわなくてよかった!

ララはチッチを追いかけていって捕まえた。首に赤いリボンを巻いて、両手にすっぽり収まってしまうほど小さい。絶えず動いているピンク色の鼻と、愛らしいつぶらな瞳を見て、ララはにやにやした。

それから、切り株に斧が突き立てられたままになっているだれもいない薪割り場に目をやると、なにか妙な感じがした。
山羊の乳の入ったバケツを持ってあとを追ってきたセトに、ララは不思議そうな顔をして、

「今日はだれも薪を割らないのかな?」と言った。

「先にやったほうがいい仕事がほかにあったんじゃない」

「だれがやる日だったんだっけ?」

「さあ」

なにか忘れてるような気がする。なんだっけ?

ララは手の中でウサギが動きまわっている感触で我に返り、チッチのことを少し撫で、まあいいか、と思った。チッチはすごく元気そうだ。ちょっと前まで怪我をして元気がなかったのが嘘みたい。

山羊の乳を台所に置きに行くと、おばあちゃんが鍋で煮込み料理を作っていて、ぐつぐつと沸き立つ鍋から、食欲をそそられるいい匂いがした。山羊の乳を少し飲み、後は予定通り、ベリーを集めるために外に出た。
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最終章 ユニコーン (2/3) ~ 黒い城の王

 

  * * *

 

アシュラムはうずくまって頭を抱えていた。

目を閉じて、呼吸を整え、乱れた心を鎮めようとする。

しばらくして顔をあげ、カラスの姿がなくなっていることに気づいた。

血痕が床の淵までつづいていた。リュンケウスのほうを見ると、自分の靴とズボンに飛び散ってしまった返り血を気にしている。

「落としたのか?」

責める口調だったので、リュンケウスは振り返って、

「もう勝負はついてました」と言った。

「とどめを刺してやろうと思ったのに」

あのままじゃ、苦しんで死ぬ。

「放っておいても、すぐ死にます。お見事でした」

そう言うと、彼は磨きあげられた革靴についた血を、神経質に拭いはじめた。

アシュラムは立ちあがって刀の血を拭い、鞘に収めた。それからカラスが蹴った刀を拾いにいった。

鞘から少し刀身を抜き、白銀の輝きを確かめる。鏡のような刃に、疲れきった緑色の目が映りこむ。

湖畔で刀の使い方を教えてやったときのことを思い出した。さんざん嫌味ばかり言っていたくせに、あのときは俺に憧れてる少年みたいな目をしてたっけ。刀のほうも、子供の遊びみたいだったな……。

彼には気の毒なことした。

もの思いに耽っていると、リュンケウスが声をかける。

「後悔なさってるんですか?」

「いいや」

アシュラムは刀身を鞘に収め、また帯にさし直した。

そのときまた一つ大きな建物が倒壊したので、リュンケウスは映しだされた影のほうにむき直った。

「あれは──ダリウスの劇場だ! ハハハッ、これでもう座長はつづけられないな。いい気味だ」

もう劇場から逃げる人影はなくなっていたが、正面の石段には、舞台衣装を着たままの死体が転がっていた。

「せっかくなんだから、ほかの街の様子も映しましょうよ」

興奮した口調で彼は言う。その表情は生き生きとしていて、劇場で喜劇を楽しんでいる観客となんら変わらない。

アシュラムは無表情のまま、また玉座の肘かけに座り、総仕上げの呪文を唱えた。自分の口から出る呪文は単なる言葉でしかないが、同じ言葉を神王が口にした途端、魔法になる。クレハが呪文を復唱すると、街に降り注ぐ砲撃が止まった。

まだ混乱した人々の声は聞こえてくるが、爆撃音が止んで急に静かになった。

リュンケウスが異変に気づいて振り返った。

「どうして攻撃を止めたんです?」

「もうこれくらいにしとこう」

リュンケウスはもの足りない様子だが、

「それじゃあ、次の計画に移りますか」と言った。

「いや、いいんだ」

アシュラムの態度の変化に気づき、リュンケウスは不審そうに問いかけた。

「『いい』とはどういうことです?」

「世界中にあるプリモス兵器を一つ残らず無効にした。もうどの銃の引き金を引いても光線は出ない。爆弾も爆発しない。全部ゴミになった」

武器商人は一瞬言葉を詰まらせ、相手の言葉の真意を計りかねたようだった。さっきまでの興奮がみるみる引いていく。

「そんなことができるなんて聞いてない」

「言ってないからな」

「話が違う。理想の国を作って王になるんじゃなかったんですか? もうすぐ夢が叶うんですよ。それを仲間を殺したぐらいで、動揺してあきらめるんですか?」

プリモスの翼が空から堕ち、地面に激突する音がした。アシュラムは笑った。
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最終章 ユニコーン (3/3) ~ あたたかい手

 

  * * *

 

長い夢から目が覚めた。

最後に見えたのは、リュージュの屋敷の鉄門だった。あの花壇には、今でもだれかが花を植えるのか? それとも、もうとっくに潰されてしまっただろうか。

カラスはぼんやり天井を眺めたまま、しばらく自分がだれなのか思い出せなかった。

斬られて、落とされて、体がなくなってしまってから、不思議なオーロラの中で、無数の魂が、自分の中を過ぎていったからだ。

そのとき見えたのは、さまざまな人間の生々しい記憶の断片だった。それらの思い出は、外から聞かされる単なる出来事としてではなく、すべてが自分の内に起こったことのようにはっきりと感じられた──怒りも、恐怖も、喜びも、遠い日につないだ手の感触や、靴の中に入ってしまったほんの些細な小石の痛みまで……。あらゆるものが流れつき、流れでていくその岸辺では、すべてのものが我が身の一部だ。

 

それから、潮の香りのする風が、たった今本当に鳴いている海鳥の声と波音を運んできて、ようやく、自分がいる場所を思い出した。

ここはザレスバーグ近くにある海辺の小屋だ。

古城で死にかけてから、今はじめてはっきりと目覚めたが、自分が得体のしれない怪物になってしまったときのことや、そのあと起こったことは、すべて知っていた。

俺はアシュラムを飲みこもうとして──結局、そのとき口に入ったアノマニーの血のせいで、呪術が解けて、すぐにもとの体に戻ってしまったのだ。

それから、ララが俺を揺り起こそうとし、怪我をして気絶していたアシュラムを叩き起こした。それでもずっと眠りっぱなしだった俺を、二人は苦労して城から運び出し、また人間らしい服を着せ、街の混乱を避けて、この小屋に寝かせてくれた……。

 

ここは以前ララを置いていった小屋に似ていたが、同じではない。まわりは薄い木の板を並べただけの壁に、釣り竿や網などがかかっていて、まだ新しそうな小舟と、魚の干し網などがあった。いくつかある雨漏りしそうな天井の隙間からは、木漏れ日のようにやわらかな光がさしこんでいた。扉のない出入り口のむこうに見えるのは、まぶしい砂浜と、どこまでも広がる青い海だけだ。

俺はまたマヌケなドジを踏み、命がけの呪いに失敗してしまった。けれど、全然がっかりはしていない──ほんの少しも。

カラスはもとに戻った自分の手を見あげた。不思議なことに、斬られた怪我も、ずっと消えなかった腕の傷痕も消えている。

横をむくと、砂の上に敷かれた毛布の上で、ララが寝息をたてていた。バラ色の頬をした愛らしい寝顔を、赤い巻き毛が縁取っている。息をするたびに体がかすかに上下して、その唇にははっきりと瑞々しく血の気がさしていた。

苦しいほど胸が高鳴る。

思いきり抱きしめて笑いだしたい気分だったが、ララが気持ちよさそうに眠っているから、やらない。

生きているのをもっと確かめたくて、起こさないようにそっと触れてみる。

その手は、とても温かかった。

ララは少し触れられただけで目を覚ましてしまい、眠そうにまぶたをこすりはじめた。

カラスは傷痕のなくなった若々しい青年の顔いっぱいに心からの笑みを浮かべ、

「おはよう」と言った。

ララも嬉しそうに、「おはよう」と返す。

たぶん、こうしているうちにも、外は酷いことになっている。

でも今は、猛吹雪のなか、温かな暖炉の前で過ごす安らかなひと時のようだった。

今はただ、この温もりを分かちあっていたい。

きっともう俺たちは、迷い子を導くユニコーンや、幻のような不滅の星や、狼なんかに、道をたずねる必要はないだろう。

もう大丈夫だ。

これからは俺たちの力で、道を切り拓いていくのだ。

 

 

エピローグ ~ 消え去るもの、残るもの

エピローグ

 

 

〝謎の大虐殺〟が起こり、プリモス兵器がただのゴミと化してから、戦争はなくなるどころか、ますます増えた。

それまで帝国の武力によって抑えつけられていた者たちが、広大な領土のいたるところで反乱を起こしはじめたからだ。まずは傭兵団や逃亡奴隷、特権をあたえられていなかった非市民が暴徒と化し、独立しようとする属州も蜂起して、破壊をまぬがれた国土も、すぐに国とは名ばかりの無法地帯となった。

やがて、巨大な倒木から新芽が萌えいずるように、いくつもの小さな国々が勃興すると、無法者たちは霧散した。そして、今度は小さな国同士の戦争が、いたるところで繰り広げられた。

そのあいだにも森の開墾はさらに進み、かつてチタニア人と呼ばれた人々は、もうそのような言葉では呼ばれなくなっていった。さまざまな土地に散らばって混血を繰り返すうちに、その血は街や村々に溶けこんで見分けがつかなくなり、いつしか、かつてのように悪霊蠢くチタニアの大森林も、〝チタニア〟という言葉そのものも、消えてなくなってしまったからだ。

そして、ほんの一握りの人々だけが、寒すぎてだれも欲しがらない、北の果てのオーロラの森に帰っていった。

 

その一方で、マヌ王国のテロリストは目立った暴動を起こさなくなり、マヌの政情は安定期に入った。

西側の世界では〝謎の大虐殺〟と呼ばれている出来事を、マヌ教徒だけは〝審判の日〟と呼ぶ。マヌの民の窮状をお嘆きになった神々が、伝説の救世主レネを再びこの世に遣わし、自分たちを救ったのだ、とマヌ人たちは信じていた。

マヌ王やヴァータナの高官たちは、最後の審判を下した張本人がだれなのか、気づいていたが、公表はしなかった。あれだけ死者をだした大惨事が、神ではなく、生身の近衛兵の仕業だったなどと知れたら、ヴァータナは無事では済まない、と考えたのだ。

王は敵が弱っている隙に、大地の裂け目の西側まで領土を拡大しようとは思わなかった。大昔から、そしてこれからも、大地の裂け目の東側だけがマヌ人の世界のすべてだ。

敬虔な人々は何世代にも渡って、この世に舞い降りた神がかりの救世主が、どこかから自分たちを見守っていると信じつづけた。

 

長い歳月が流れ、トゥミスの都があった場所は、完全なる荒れ野と化した。宮殿や凱旋門はがれきとなり、そのがれきも草に埋もれた。かつての栄華を知る人たちの末裔は散り散りになってしまい、ずっとあとになって、まったく関係のない漁民などがそこに住むようになった。

それでも一つだけ、何百年も前から変わらず、そこに残っていたものがある。

 

海をのぞむ切り立った断崖の上に、まっ黒な古城があった。

それは紺碧の海を照らす明るい太陽の下、仕事を終えて陸に帰ろうとする漁師たちの視界の端に、いつも不吉な黒い影のようによぎる。

無数の尖塔が空を突き刺す、近づく者もないその場所では、草原を渡るかさかさとした風の音と、打ち砕ける波音が響き、海鳥が寂しげに鳴いている。

迷信深い人々はその建造物を、悪魔の巣食う呪われた城、と呼んで恐れている。

しかし、思慮深い者なら、もっと別の言い伝えを信じるだろう。

遥か昔、この地を栄えさせた異民族たちの伝説が、今もかろうじて歴史を語り伝えている。

 

【完】

 

ご愛読いただきありがとうございます。
なにか心に残ることがありましたら、ご感想のコメントなどしていただけると光栄です。

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