6章 帳の中に策をめぐらし (1/3) ~ 大事件の事後処理

6 帳の中に策を巡らし

 

 

マヌ王リュージュは、近衛隊の副隊長や司法官からアシュラムのしたことを聞かされても、すぐには信じられなかった。

「あいつがそんなことをするなんて……」

思わず口をついてそんな言葉が出る。

リュージュは寝巻き姿のまま、静まり返った大食堂の椅子に座っている。床まで届く長い髪は邪魔にならないよう一本に束ねてあり、祭礼用のケバケバしい化粧はもう落としていた。その素顔は、額に第三の目がついていることを除けば、ごく普通の青年と変わらない。小柄で童顔なので、二十五歳という実年齢より若く見えた。

十二人掛けの長テーブルの上にはなにもなく、上座の王の横には、近衛隊の副隊長のナーディルと、宰相のシャンタンが立っている。二人とも、今夜近衛隊長の起こした一連の騒ぎに対して王が下す判断を待っていた。窓にかかった御簾の隙間からは、夜明け前の青みがかった光がぼんやりと差しこみはじめている。

 

 

リュージュとアシュラムのあいだには、王と家臣という関係以上の絆がある。二人は乳母兄弟で、赤ん坊の頃からのつきあいなのだ。

アシュラムの一族は歴代の王に仕えてきた戦士の家系だ。母親はその手の中でも将軍級の名家の出身。一方父親はチタニア人とマヌ人の親を持つ混血の下級兵士だった。アシュラム自身は、そんな不釣りあいな夫婦の道ならぬ恋の産物だ。緑色の瞳は、祖母と父親の瞳の色が遺伝したものである。その父親は妻の妊娠中に早々と戦死してしまい、残された未亡人は生まれたばかりの息子を抱えて大胆な賭けにでた。

「母さんは俺の瞳の色が緑色だったから、将来出世できないんじゃないかって、心配したんだ。父さんがそれで苦労したから。……そりゃ立派だと思ってるよ、でも最後まで使いっ走りだった。まわりとは違う目のせいで、よけいな不幸を背負いこんだんだって、母さんは言ってた。だから俺がそんな苦労しなくて済むように、乳母になろうなんて思ったのさ。駆け落ちだったから、実家にも帰れなかったし。とにかく母さんには俺しかいないんだよ」

まだほんの十歳くらいの子供の分際で、アシュラムはそんな風に語っていた。自分の境遇を悲観したり、不満を持ったりもしないで、不思議と大人びた表情で。今思い出すとませすぎてておかしい。

乳母のねらいがなんであれ、二人は人里離れた田舎の屋敷で、ともに平和な幼少時代を過ごした。

でも十一のとき、乳母は熱病で他界し、乳母子のアシュラムは、それまで絶縁状態だった母方の親族のすすめで、黒龍山という場所にある名門の道場に入れられた。そこを出たあとは、前王の統治下で、父親と同じく兵士として国内の戦場を転々としたという。

屋敷ではいつも一緒にいたのに、離れ離れになってから、アシュラムはずっと僻地や危険な場所にいたので、手紙のやり取りもできないままだった。

だがその十年後、彼とはヴァータナ宮殿で、思いがけない形で再会することになった。

前王が亡くなって、次の王をだれにするかで揉めていたとき──マヌ南部の内戦の制圧に携わっていたアシュラムが、突如戦場を引きあげて宮殿に姿をあらわしたのだ。

通常なら第三の目を持つ者を王にすればいいのだから、王選びは迷いようのないことなのだが、そのときだけは第三の目を持つ者が二人いたので、揉めにも揉めていた。有力者たちによる話しあいだけでは決着がつかず、王が不在の状態が何十日もつづいていた。そのうち官吏たちはリュージュ派とクレハ派に分裂し、宮殿にはおたがいの暗殺の噂まで飛び交うようになっていた。

そんな不穏な空気が漂う中、アシュラムは、これからは僻地ではなく主君の身近で仕えたいと直談判しに来たのだった。

ひさしぶりに会ったアシュラムは、剣術も学識も、とっさの判断力も、人の上に立つ魅力も、どこをとっても非の打ちどころのない男に成長していた。若くしてすでに戦場でいくつもの戦果をあげ、指揮官としての頭角をあらわしていた。それに比べたら自分はあまり進歩していないような気がする。リュージュが少し気後れする思いで、幼馴染みの成長ぶりを誉めると、彼ははにかんで言った。

「私がここまで来れたのは、リュージュ様のご加護があったからです」

ほかの者が言ったら見え透いたお世辞にしか聞こえなかっただろう。だが、良いことはまわりのおかげと言って感謝し、失敗は自分の責任にする──アシュラムは昔から、そういう奴だった。

 

 

脱獄があってから、二時間ぐらい経とうとしている。リュージュは寝ているところを夜勤の衛兵に起こされ、しばらくして駆けつけてきた近衛隊の副隊長から、くわしい状況説明を受けた。偶然監獄の見まわりに来ていた司法庁の役人に暴行し、西門の衛兵を負傷させた挙げ句、バザールの倉庫で氷男を殺害したこと。そして赤い魔石を持ち出し、囚人を連れて始祖鳥でヴァータナを飛び立ったこと。普段ならこうした報告はすべて隊長のアシュラムがやっていることだが、副隊長のナーディルの段取りも申し分なかった。
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6章 帳の中に策をめぐらし (2/3) ~ 2人の王候補

 

 

それは四年前、まだ前王が亡くなったばかりで、リュージュは王候補者の一人にすぎず、アシュラムが近衛隊長になるまえのことだった。

リュージュとクレハ、第三の目を持つ二人の王候補者のどちらを王にするかで、官吏たちが激論するなか、田舎から都会に出てきたばかりのリュージュは、一人慣れない宮廷生活に戸惑っていた。『あれ』『それ』と言っただけで意思疎通できた昔なじみの従者とは別れてしまい、多すぎる世話係の顔と役職を覚えるのも一苦労。右も左もわからない広い宮殿を、一人で散歩しようものなら、道に迷ってしまって自分の部屋にさえ帰れない。

当時はそんな有様だったので、自分より遥かに宮廷のことを熟知している高官たちと、どう接したらいいのかもわからないでいた。

なので当然話しあいにも参加できず、暇をもてあまして、くる日もくる日も宮殿の池で釣り糸をたれていた。釣りは昔からの趣味だ。山河の多い北マヌの屋敷にいたころは、よく渓流釣りをしていた。

宮殿の池の水は渓流と違い、温くて生臭くて緑色に濁っている。庭を飾るための人工の池なので、小さくて錦鯉しかいない。投げ入れられた餌を食べるしか能がないので、餌を沈めるとすぐに釣れてしまった。

五匹目を釣りあげたとき、後ろから拍手が聞こえた。

「大物ですね」

アシュラムだった。リュージュは暴れる鯉を抱きかかえて釣り針をはずし、また池に戻してやった。釣ったのは五回目だが、一度釣りあげた鯉だ。

「鯉ばっかりで、おもしろくない。今は鮎の季節だ。屋敷にいたら、釣りに行ってたな。釣ったばかりのを、その場で塩焼きにするのが一番うまい」

もし王になったら、もう気ままに川に出掛けて釣りをすることもできなくなる。祭礼のとき以外、王は宮殿を出ないものだ。離宮で休養することは認められているが、そこから勝手に出歩くなんてことは許されない。パレードのような従者の列を率いて渓流釣りだなんて、想像しただけで滑稽だった。

うすら寂しい気分でよどんだ古池を見つめていると、アシュラムが言った。

「鮎が釣りたいなら、鮎を池に放されてはどうです?」

「そういう問題じゃないよ。自然の中だからいいのに、自分で放した魚を釣ってなにがおもしろい? なんだか、自分まで生け簀の魚になった気分だ」

「リュージュ様がその気になれば、庭に川だって作れます。そこに世界中の魚を放すことだってできるんです」

「そんな出費は宮内庁が許さないだろう。私は今、王でもなければ官吏でもない。敬意は払われても、権限はない」

「王位に就けば、権限も得られます。ですが、高官たちは貴方の権限を奪おうとしています。政治の場から遠ざけて、自分たちだけで事を進めるつもりでいる。こんなところで釣りなどしていたら、彼らの思うつぼです」

思いがけない相手から説教されて、リュージュは眉をひそめた。──家臣のクセに。

「私がなにをしようと私の勝手だっ」

餌をつけ直した針を、また池に投げる。

アシュラムは後ろでしつこく話しつづけた。

「リュージュ様を除け者にするどころか、亡き者にしようとしている輩までいます。クレハ様を王位に就けたがっている者たちです」
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6章 帳の中に策をめぐらし (3/3) ~ 怪しい人々

 

 

「……ばかばかしい。クレハが正気を失ったときのことを言っているのなら、もうケリはついたはずだ。おまえが気の済むまで調べて、疑わしきことはなにもないと言ったのだぞ」

ただでさえ立てこんでいるときに、過去のいざこざをほじくり返され、リュージュはますます不快感をつのらせていた。

「証拠はでなかったと申しただけです。ですが、陛下が即位されて一番得をしたのはアシュラムです。彼は宮廷で権力を手に入れるために、陛下を足がかりにしました」

リュージュは自分の名誉が傷つけられたかのように、シャンタンに険しい顔をむけた。

「アシュラムは私を守るためにわざわざ前線から引きあげてきたのだ」

「陛下のために失礼を承知で申しあげます。そのような甘いことばかり言っておられるから、いつまでもつけ入られるのです」

「口を謹め!」

鋭くそう叱責すると、第三の目が紫色に光った。シャンタンの衣が風もないのにかすかになびき、傷一つないはずの額から、一筋の血が流れ落ちた。しわがれた顔が、一瞬で凍りつく。流暢な口も、かたく閉じてしまった。

「今はアシュラムを捕まえて事情を聞くことだけに専念しろ。よけいなことをベラベラしゃべるな。ナーディル副隊長にもそう釘を刺しておけ」

「官吏や高官たちには今回のことを、どう説明しましょう?」

「おまえが最初に言った通りでいい。問題があったがすべて片づいた、ということに」

「わかりました」

部屋のドアを慌ただしくノックする音が聞こえた。

「だれだ? 今、取りこみ中だ」

シャンタンが顔についた血をハンカチでぬぐいながら言った。

「イスタファです」

イェルサーガの隊長だ。早い段階から手を借りることを決めていたので、自宅に使者を送って呼び出してあった。

「入れ」

リュージュが命じると、トカゲ顔をした眼帯の男が入ってきた。

彼は風を操る魔法使いで、始祖鳥を飛ばせたら右に出る者はいない。そのうえ、距離とは関係なく、視界に入る場所へなら一瞬で移動できる、という恐るべき能力を持っていた。猛禽のように空を旋回しながら獲物を探し、見つけた次の瞬間にはその獲物の背後に移動している──人間を狩る、神出鬼没のハンターだ。

「おまえにしては遅かったな。状況説明は受けたのか?」リュージュは言った。

「はい。外にいた近衛隊の副隊長から」

「氷男のことは残念だった」

氷男の死にはまだ疑問が残ったままだったが、リュージュは義務的にお悔やみを言った。イスタファは、王のそんな気遣いなど無用かと思えるほど顔色を変えなかった。

「さっき、バザールの倉庫にあった氷漬けの死体の身元がわかりました」

「どちら側の人間だ?」

「それが──奴の正体はワイアードだったんです。クレハ様に毒を飲ませたヤブ医者の」

「どういうことだ?」

「くわしいことはわかりませんが、氷男が攻撃したのですから、アシュラムの手引きをしていたのでしょう」

「では、ワイアードはアシュラムの手下ということか……」

「そう思われます」

シャンタンが『ほら見ろ、やっぱりな』という顔で、主君を見やった。

リュージュは欺かれたと知り、煮えたつ怒りで顔を歪めていた。

「なんとしてでも捕えろ」

「抵抗した場合、殺してもよろしいですか?」

イスタファはサラリと言う。リュージュは察しの悪い殺し屋をにらんだ。

「殺せ、とは言ってない。アシュラムはほかにも、青い魔石やクレハのことについて知っている可能性がある。そうでなくてもほかに仲間がいるだろう。死んだらなにも聞きだせん、それくらい考えろ」

「わかりました。任務に取りかかります」

イスタファは足早に部屋を出ていった。
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