7章 業火 (1/3) ~ 戦場の悪夢

7 業火

 

 

ホタル草がしおれかけている。

五歳児のアシュラムは、花壇の前でしゃがみこんで、たった一本だけになってしまったホタル草を見つめていた。

昨日までは花壇いっぱいに花が咲いていた。でもアブラ虫がびっしりついていたので、それを追い払おうとして殺虫剤をたっぷりかけておいたのだ。だけどよかれと思ってやったのに、それがいけなかった。一本だけ残して花は枯れてしまった。その一本も枯れかけている。種から植えて、毎日水をやり、大切に育ててきたのに……。

アシュラムは花に小さな両手を覆いかぶせて影を作り、隣にいるマヤに話しかけた。

「こうしてると光るかな?」

その声はまだ甲高くて頼りない。

「光んないよ」

マヤは砂の上に花の絵を描きながら、むくれっ面をあげずに答えた。マヤはリュージュのお姉さんで、三つ年上の女の子だ。三人で植えた花を、アシュラムが枯らしてしまったので、ずっとご機嫌ななめだ。

そのせいでアシュラムはなおさらションボリしていた。うつむいて今にも泣きそうになっていると、マヤは急に横から顔を近づけてきて言った。

「アシュラムの目、綺麗。死んだらもらっていい?」

「うん、いいよ」

綺麗と言われたので、ニッコリしてうなずいた。

「マヤが死んだら、マヤのももらっていい?」

「うん、いいよ」

マヤもうなずいてニッコリ笑った。

二人は二人ともニッコリしているのが嬉しくて、さらに満面の笑みになった。

やがてマヤが立ちあがって、アシュラムの手を引いた。

「森の中に行こうよ。ここよりも、いっっっぱいホタル草が咲いてる花畑があるんだって」

「そんなの知らない」

「本当にあるんだから。ねえ、行こうよ」

アシュラムはあたり一面ホタル草の咲いている花畑を想像した。マヤにぐいぐい引っぱられて、のろのろと立ちあがる。

「庭を出たらお母さんに怒られるよ」

「ばれなければいい」

マヤはワクワクしながら跳ねるように二三歩進んだ。

「森の中って危ないんだって言ってたよ。狼が出るよ」

「弱虫! 本当は見たいくせに!」

マヤは手を放して、一人で勝手に森のほうへと歩いていってしまった。アシュラムはその場に突っ立ったまま、そわそわしていた。マヤは庭と森とを分ける柵を乗り越えたところで振り返り、『なんともないよ』と手を振った。

「来て!」

アシュラムも走っていって、思いきって柵を乗り越えた。

下の土は庭の芝生や砂地よりもやわらかく、独特の匂いがあった。日が傾きかけて間もないのに、生い茂った木の葉が青空をふさいでしまい、森の中はうす暗い。けたたましい鳥の鳴き声が、いつもより近く、あっちこっちから聞こえてくる。

「やめようよ。帰ろうよ」

そう言ってなかなか柵のそばから離れようとしないアシュラムを尻目に、マヤは茂みのむこうへどんどん分け入ってしまう。
次のページ

7章 業火 (2/3) ~ 棺桶みたいな家

 

 

気がつくと、アシュラムはベッドの上にいた。

まわりを見ようと、起きあがって首をまわすと、鈍い痛みを感じた。なかに追い詰められたように、心臓が早鐘を打っている。

でも、そこはもう戦場ではなかった。明るい日射しの差しこむ小屋の中にいる。白い肌の見知らぬ老人が揺り椅子に腰かけ、パイプの煙をくゆらせながら、窓の外を見ている。子供が遊んでいるような笑い声が聞こえてくる。外ではララとカラスが泥玉を投げあって遊んでいた。そのむこうは森だ。

なんで彼らと一緒にいるんだっけ?

一瞬そう思って、すぐに自分の置かれている状況を思い出した。だれかが服を取りかえてくれたらしく、見覚えのない綿のシャツを着ている。さっきから鈍痛を感じている首のあたりを恐る恐るさすってみたが、傷はなかった。

「おお、目が覚めたか!」

老人がアシュラムに気づいて言った。

「首が痛むんなら、どっか筋違えたりしてるんだろう。骨が折れたりはしとらんよ」

老人の言葉は南部なまりのあるトゥミス語だった。どうやらマヌ王国の領内からは出られたようだ。老人はゆっくりとパイプをひと吸いすると、たっぷりたくわえた灰色のヒゲを、節くれだった太い指でなでつけた。

「あなたは一体? ここはどこです?」

「わしは単なる老いぼれの世捨て人だ。今までの貯えで残り短い余生を静かに過ごしとる。近頃どんどん世の中が悪くなるからな。わしが若い頃はこんなんじゃなかった」

いきなり年寄りの決まり文句を言われて、アシュラムは「はあ……」と、あいまいな相づちを打った。

「──そして、この小屋はわしの棺桶だ」

と、老人はいまいましげに言った。かなり気難しそうな人だ。アシュラムは、困ったなという顔をして、「そうですか」と返事をした。老人はまた目を細めてパイプを吸い、もくもくと煙を吐き出した。相手の答えに満足したようには見えなかったが、それはもうどうしようもないことだ。

「私がここに来てからだれか来ませんでしたか? それに、私はいつからここに? どうやって──」

「だれも来んよ、物売りのトッポ以外は。いろいろ買い出しをさせてるんだが、ここ一年奴以外とは話しとらんかった。でも、あいつときたら暇潰しにもならんよ。親父はもっと頭のキレる奴だったのに、息子はてんでだめだ。昔はよかった……」

長いことまともに人と話していなくて言いたいことが溜まっているのか、老人は堰を切ったように早口で愚痴った。話が脱線したことに自分でも気づいて、一呼吸置いてから話をもとに戻した。

「昨日の晩、眠ってたら──といっても近頃は眠りが浅いんだがね──ドアをドンドン叩く音で起こされた。トッポかと思ったから『それ以上やったらブッ殺すぞ!』って怒鳴ったら、家の外で知らねえ男が『死んじまう! 死んじまう!』って大騒ぎしてやがる。チタニアなまりだからろくな奴じゃねえと思ったんだが、無視するわけにもいかねえんで、斧引っぱり出してきて、構えながらドアを開けた。そしたら案の定ヤバそうな男が立ってて、手に血まみれの女の子を抱いてた。心臓が止まるかと思ったよ。野郎は『頼む』としか言わないで女の子を押しつけて、また森の中に走っていった。そんときはそいつがやったんかと思ったが、しばらくしてあんた担いで戻ってきて、どうやら賊に襲われたらしいってわかって、あんたの手当てもしたわけだ」

賊に襲われたことになってるのか。ララは今外ではしゃぎまわってるから、大した怪我ではなかったんだろう。

アシュラムは礼を言おうとして口を開きかけたが、老人がまた不愉快そうにつづけた。話はまだ終わっていなかったのだ。

「まったく近頃の若い奴は、ものの頼み方もわかっとらん。こんなことを面とむかって言うのも気が引けるが、あんたの連れとは話にならんよ。育ちが悪さがにじみ出てる。その点、おまえさんとはまともに話ができそうだ」

とても気が引けているようには見えない。

礼を言うタイミングを失ってしまい、また「はあ……」と生返事をした。

老人は窓を開けて、外にむかって声を張りあげた。

「アシュラムが起きたぞー!」
次のページ

7章 業火 (3/3) ~ 手がかりを追って

 

 

始祖鳥は残念ながら森に墜落すると同時に死んでしまった。なんとか高度を下げるまではもってくれたので、木の枝に引っかかりながら落ちただけで、大事には至らずに済んだのだが、もし雲の上からまっ逆さまに落ちていたら、三人とも即死だっただろう。旅の途中で賊に襲われたということになっているので、始祖鳥に乗ってきたことは老人には秘密である。

泥だらけの二人は井戸で服と体を洗い、アシュラムも寝汗をかいていたので水を浴びた。結局三人で床を拭き、玉ねぎの酢漬けと薄焼きのパンで簡単に腹ごしらえをしてしまうと、アシュラムはすぐにでも出発しようと提案した。そのときには正午を過ぎていたが、老人に聞いたところ、今出ればゆっくり歩いても日の暮れる前にエンゾという村に着くということだった。

三人はさっそく身支度を整え──といっても荷物などほとんどなかったが──口うるさい老人の小屋をあとにした。いつまでも墜落した場所の近くにいたら、いつ追っ手が来るかわからなかったし、老人には気の毒だが、三人とも小言を聞かされつづけるのは嫌だったのだ。

アシュラムは老人に着せてもらった服を、そのまま着ていくことにした。マヌの民族衣装では目立ちすぎる。絹の服はお礼にあげようと思ったが、老人にそう言ったら、『血まみれで使いものにならない』と逆に怒られてしまった。なら、気持ち程度にお金を渡そうすると、断固として受けとってもらえなかった。

老人は最後まで不機嫌そうに三人を送り出すと、また一人で自分の棺桶に戻っていった。その様子を振り返りながら、カラスは言った。

「あんな風にはなりたくねえや」

さっきのように敵意全開ではなく、心なしか同情も入っているようだった。

真昼の日射しは強く、少し歩いただけでも汗ばむくらいで、髪や服が乾ききっていなくても気にならなかった。固く絞っただけで、村に着くまでに完全に乾いてしまいそうだった。生温い微風が頬をくすぐり、鳥や蝉の鳴き声で森の中は騒がしい。むせ返るような緑に包まれた枝が、草に埋もれてしまいそうなケモノ道にまだらに影を作る。ふと、上空でとんびが旋回しているのを見つけると、始祖鳥ではないかと、ひやっとした。

歩きながら、ヴァータナではきちんと話せなかったことを話しあった。

「王は四つの魔石のうちの一つはマヌ王国にあると言っていたが、実は代々王に伝わる青い魔石は、一ヶ月前に盗まれてしまったんだ。ちょうど、クレハの誘拐事件と同時に。国宝を盗まれるということは王の沽券に関わることだから、公にはしてない」

アシュラムは宮廷の極秘情報を漏らした。

「同時にってことは、国宝を盗んだ奴と誘拐犯は同じ奴らだってこと?」

「王も高官たちもそう考えてる。私もだ」

「俺がクレハのこと話したら、監獄塔で話した囚人が、やったのは自分の仲間だ、なんて言ってた」

「確かなのか?」

「さあ、妄想かも」

見た感じ、ドゥーモはまともな判断ができそうにはなかった。

「クレハを解放して王にするなんて言ってたけど、誘拐されたって話も知らなかった。そういえば、権力争いで王がクレハに毒を盛ったって話本当?」

カラスは牢の中で聞いたことを思い出しながら言った。アシュラムは眉をひそめた。

「デマだ。だれかが毒を盛ったのは事実だけど、王がやったんじゃない」

「じゃあ、だれなんだ? 革命家は、クレハは本物の第三の目を持ってるけど、リュージュのは偽物だって言ってたぜ?」
次のページ