8章 幼女と少女と女と老女 (1/3) ~ やきもち

8 幼女と少女と女と老女

 

 

老人が言っていたよりも少し早く、エンゾの村に着いた。なだらかな丘陵に、耕作地や牧草地がパッチワークのように広がり、その中央に二十軒あまりの藁葺きの民家がある。森にかこまれた小さな村を吹き抜ける風は暖かく、清清しい牧草の香りと、家畜の糞の甘ったるい匂いが混じっていた。

最初に見た村人は、ララよりも小さな女の子だった。少し離れた木の柵のむこうで、枝を振りまわしながら、一人で七頭のヤギの番をしている。見慣れない来訪者に気づくと、じっとこちらを観察しはじめた。カラスもアシュラムも、それに気づいても無関心だったが、通りすぎるときにララが手を振ると、女の子のほうも笑って手を振り返してくれた。

次に会ったのは二人の若い農婦だったので、今度は道を聞いた。農婦たちはぶどう棚の下でお茶を飲みながら、おしゃべりをしているところだった。二人とも頭にターバンを巻いていて、畑仕事をしているせいで、素焼きの茶碗を持つ手がかなり荒れている。服は着古していても、木や真鍮のアクセサリーはジャラジャラつけていて、二人とも乳牛のように胸が大きかった。

ララは農婦たちが話しているあいだ、ずっと胸ばかり見ていた。少し大きすぎる気もするが、鏡の前でよせたり上げたりしても谷間のできない自分の胸とは大違いだ。

「ザレスバーグ? 聞いたことないわね。トゥミスの近くなら、ここからヴァロスっていう街道ぞいの街に行って、そこからトゥミス方面の駅馬車を乗り継いでいくのがいいんじゃない? 直通の馬車はないから。行った人の話だと、ひと月ちょっとかかったって。ここからヴァロスまでは歩いて丸二日かかるから、明日の朝行ったほうがいいんじゃない?」

青いターバンを巻いた年上らしい農婦が、考えながら答えた。それが正しいなら、アシュラムが最初に言った六十日よりも早く着くかもしれない。

すると隣に座っている桃色のターバンの農婦が、青いほうの話に茶々を入れた。

「ちょっと待ってよ。トッポがトゥミスに行ったときは、ひと月どころか半年もかかったよ。ヴァロスで夜通し走れる長距離馬車がいっぱいで、乗れるまで二週間待って、ほかのところで乗り継いだときも、やっぱり同じくらい待たされたって」

「あいつ馬鹿だから要領悪いのよ。だって三十回も乗りかえたんでしょ? 私のひいおじいちゃんのときは、七回しか乗り継がなかったって言ってたよ。それに、割り増し料金払えば、優先的に乗せてもらえるんだって」

「えぇー、嘘ぉ!? そんなの聞いたことない。でも割り増し料金っていくら取られたの?」

「忘れちゃったあ。値段聞かなかったかも」

農婦たちはそんな調子でぺちゃくちゃと二人でしゃべりはじめた。

「ここで馬を調達できないか?」

女たちのおしゃべりに見切りをつけたように、アシュラムがたずねた。

「ラースの店って、今ちょうどいい馬いたっけ?」

「いたいた」

「駅馬車より、自前の馬のほうがいざというとき自由がきく。馬で行こう」

アシュラムは連れに提案した。カラスは、とんでもない! というような口調になって答えた。

「馬買う金なんてねえよ」

馬と馬具をそろえる金があれば、トゥミスまでの三人分の馬車代を払っても、まだおつりがくる。

「私が買う」

「本気かよ……?」

農婦たちはこのやり取りを聞くと、アシュラムのほうを見て「お金持ちなのね」と言って笑った。アシュラムは煙たそうに目をそらした。
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8章 幼女と少女と女と老女 (2/3) ~ 馬と小さな鍵

 

 

紹介されたラースの店は、村で唯一の雑貨屋だった。陳列棚に並んだ商品はまばらで、そのほとんどは、何年も売れずにほこりをかぶっているようだった。なんの変哲もない素焼きの壷や、カビの生えた羊皮紙、錆びたノコギリ、役に立たないうえにかわいくもない木彫りの人形……などなど品ぞろえは一応豊富である。

店内を通って裏口から出たところに、屋根と囲いだけの馬屋があり、四頭の馬がつながれていた。少しでも馬を高く売りたい店主は、『この馬は千里の道を一晩で駆け抜けるように〝なるだろう〟』とか、『この馬なら巨象を乗せた荷車でも動かせる〝かもしれない〟』とか、一頭ごとにすごいのかすごくないのかよくわからない気弱な誇大広告のような説明をしていった。アシュラムは慣れた様子で馬を品定めして、店主の話が終わらないうちに栗毛と黒毛の二頭を選んだ。そのあとすぐに店の中で馬具選びに取りかかったが、ララとカラスは馬具にくわしくないので、その場に残って選んだ馬のことを見ていた。

つややかな毛並みの首に慎重に手をのばすと、馬の体温が伝わってくる。馬たちは大きな黒い瞳で不思議そうにこっちを見たり、そっぽをむいたり、ときどき鼻をブルブル鳴らしたりした。

「かわいいね」

ララが話しかけると、カラスもうなずいた。気に入ったのか、近くにあったブラシで馬の体を撫でるように毛を整えはじめた。馬は大人しくじっとしている。ララは生まれてこのかた馬に乗ったことはないが、カラスは昔親戚の家で乗せてもらったことがあると言っていた。

ララは選ばなかったほかの馬も見に行って、しばらくして、カラスがいなくなっているのに気づいた。店の中に戻ると、アシュラムは店主と商談中で、カラスは窓辺に立っていた。なにか見てニタニタしているので、気になって近づいていくと、カラスは嬉しそうに言った。

「ほら、見ろ。だからモテるって言ったろ?」

言われた通り窓の外をのぞいてみると、むかい側の家の窓から、さっきの農婦たちと、別の似たような農婦たちが数人、なにか楽しそうにおしゃべりしながらこちらの様子をうかがっていた。乾いた土壁に開いた正方形の穴から、色とりどりのターバンを巻いた女たちが、微笑を浮かべて身を乗り出している。この家の前にもぶどう棚の木陰があり、ほこりまみれの地面に直接敷かれた赤い絨毯の上で、ボロボロでうす汚れた白い犬が眠っていた。

カラスは馬鹿丸だしの笑いを浮かべて、むこう側に手を振った。すると女たちはなにか囁きあって、腹を抱えて笑いだした。

「あの人たち、アシュラムのこと見てたんだよ」

ララは教えてあげた。カラスが改めて視線の先をたどると、カウンターのところで店主から誇大妄想的な馬具の説明を受けているアシュラムがいた。女たちは邪魔なカラスの陰口を言って笑いあっていたのだ。

「なんだよ。紛らわしい」

カラスはばかばかしいという風に、窓の横の死角に入った。これで邪魔者はいなくなった。

「あの人たち、あんまりかわいくないよ」

ララは窓の外を見ながら言った。カラスはもう一度ちらりと窓の外に目を遣って、

「田舎娘なんてあんなもんなんじゃないの? 本気で自分のことかわいいと思ってんのかね」

やっぱりさっきの口説き文句は本気じゃなかったんだ。ララは安心して、満足げな笑みを浮かべた。が、外ではまだ農婦たちが笑いつづけている──こっちでなんと言われているかも知らずに。

そんな女たちを見てカラスは鼻で笑い返しているが、自分の連れが笑い者にされるのはやっぱり嫌な気分だ。ララはカラスの隣によりそって、自分の存在を主張するように手を握った。
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8章 幼女と少女と女と老女 (3/3) ~ 黒い肌

 

 

とりあえず店で旅に必要な雑多な日用品と馬を買ってしまうと、馬たちを引き連れて、農婦たちの言っていた宿にむかった。

宿は村のはずれのほうにあり、二階の窓の奥で例の娼婦がうろうろ動きまわっているのが見えた。中に入ってカウンターのベルを鳴らすと、腰の曲がった老婆が出てきた。

「いらっしゃい」

と老婆は笑顔で客を出迎えた。

カラスが部屋を取ろうとすると、あいにく客が多いのか、

「あんたとそこのお嬢ちゃんだけなら泊れるよ」と言われてしまった。

「部屋が空いてないの? 二人部屋でも平気だよ。三人で泊まるから」

ララはなんの疑いもなく申し出た。すると老婆は信じられないようなことを平然と言ってのけた。

「部屋はあるけど、うちは黒い肌の客はお断りしてるんだよ。先代の決めた決まりでね」

ララは後ろの入り口あたりに立っていたアシュラムのほうを振り返った。黒なんて言われるほど黒い肌はしていない。少し色素が濃いだけだ。こんなことを言われているのに、アシュラムの表情は変わらなかった。

「馬と一緒に納屋に入れとくといい。そっちなら泊めても構わないよ」

老婆はそれでもララたちに気を利かしているつもりのようだった。悪びれる様子は皆無で、白い肌の二人をもてなす態度に変わりはない。

アシュラムはなにも言わずに外に出ようとしていた。

カラスはカウンターを壊しそうな勢いで蹴飛ばした。

「ざけんな、ババア!」

ものすごい剣幕でそう怒鳴ると、怯える老婆の胸ぐらをつかんで、もう片方の手を振り上げた。アシュラムが後ろからカラスを取り押さえ、止めに入った。

「やめろって! 死ぬかもしれないぞ」

「構わねえよ、後悔させてやる。年寄りだからって、甘く見てもらえると思うなよ」

あまりの気迫に、横にいるララまで思わず立ちすくんでしまった。

「殴ったってどうにもならないだろう!?」

アシュラムがそう言うと、カラスはやっと老婆をつかむ手を放した。押さえつける力がゆるんだので、腕を振り解き。今度はアシュラムにまで食ってかかった。

「よく怒らないでいられるな」

「こういう扱いには慣れてる……」

「おまえみたいのがいるからつけあがるんだ」

アシュラムに止めてもらえて、老婆がよろけながら安堵の息を漏らしたのが気に食わず、カラスはカウンターの帳簿をまっ二つに引き裂いて投げつけた。老婆は後ずさって、「自警団を呼ぶよ!」と金切り声をあげた。

「往生際悪く墓穴から片足出してないで、早く死ね」

老婆はカラスの顔の傷と、アシュラムが腰にさげている刀を見て、逃げだした。

カラスはカウンターの奥の引き出しから銀貨をひとつかみして、自分のものにした。

「それって泥棒じゃない。他人の物盗むなって言ってたのに」

「これは慰謝料だ。どうせやましい金だろ?」

「罰金は裁判所が取り立てるんでしょ?」

「裁判にかかる手数料を払えればね。そんなことしたって弁護士の私服を肥やすだけさ。お上の作った法律は、金持ちや権力者に有利なようにできてる。貧乏人に人権はねえよ」

「でもアシュラムは、お金持ちで権力者なんでしょ?」

ララになんの悪気もなくズバリそう言われたので、アシュラムは苦笑した。カラスは黙ってしまった。
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