9章 オーロラの話 (1/2) ~ 泥沼の内戦

9 オーロラの話

 

 

ここ数百年、マヌ王国内で兵士が一人も死ななかった日は、一日もない。広い国内のどこかで、毎日必ず紛争が起こっている。長い内戦で国力は衰退していた。それでも最近になってトゥミス帝国が台頭しはじめる前までは、世界最強と謳われていた国である。だから今でも過去の栄光で、外国との戦争だけは避けられている。歴史の浅い帝国のほうが、マヌの古い歴史を過大評価して、過剰に警戒しているのだ。だが帝国がその評価の間違いに気づけば、マヌ王国を攻め落とすことはたやすい。

多くのマヌ人は、今でも自分たちの国こそ最強だと信じている。もし、外国から圧力をかけられたり、飢饉が起こったりしても、それはだれかが神の怒りをかったからで、内戦による国力の衰退が原因だとは考えない。王宮側も、テロリスト側も、どちらもそのような思考回路だから、いつまでも平気でマヌ人同士で争っていられる。何千年ものあいだ、マヌ人たちにとって、『世界』とは大地の裂け目の東側だけを指す言葉だった。その先は、存在しないに等しい。

だが、トゥミス帝国と国境を接するようになってから、そんな考え方が微妙に変化しはじめた。色々な意味で画期的だったのは、十年前からつづいているマヌ南部の内戦である。

争いの発端は、マヌ南部の行政区画であるククート郷を管理していたウンチャカ=マチュルクという地方長官が、新興宗教を起こしたことだった。その教義は八割方従来のマヌ教の教義と同じだったが、三つ目の王に対する解釈だけが、大きく異なっていた。正統なマヌ教では、王は生き神であり、最高神が定めた絶対的な支配者だ。王に刃向かうことは神に逆らうことに等しい。それに対して異端は、たとえ神が王となる運命を定めても、王は人間であるから間違いを犯すし、神と民の意にそぐわなくなった場合は、反抗しても構わない、と説いた。マチュルクは『自分こそがマヌ神の遣わした真の預言者である』と宣言し、宮廷から派遣されていた官吏を次々と殺害していった。信者を集めて挙兵したマチュルクは、隣りあった三つの郷も侵略し、そこの長官を殺して行政機関を乗っ取った。

その際マチュルクは、自分を預言者と認めない民間人も処刑していったので、占領された四つの郷では連日のように大量虐殺が行われた。前の王の治世は安定していたので、王に対する民の不満は少なかった。多くの信仰深いマヌ教徒が、異端に改宗するよりも殉教する道を選び、犠牲になった。

宮廷はこの虐殺を止めるために、大規模な派兵に踏み切った。当時のイェルサーガを筆頭に、国中から腕の立つ魔法使いを集め、南マヌに送った。

相手は寝返ったわずかな郷兵と、即席の民兵。決着はすぐにつくものと思われた。

ところが、ヴァータナ軍は初戦から苦戦を強いられた。

マチュルク軍はトゥミスから密輸入したプリモス兵器で武装し、帝国のチタニア侵攻によってマヌに流れこんできた膨大な数のチタニア人の難民を、傭兵として戦わせていたのだ。マヌ教では、古代人の作ったプリモス兵器の使用は禁じられている。よって、ヴァータナ軍はそれらの武器は使っていない。が、マチュルクは要領よく、教義のその点をねじ曲げていた。

食うためになり振り構わないチタニア難民は、金さえ手に入れば、正統だ異端だとまどろっこしいことは言わずに戦ってくれる。人手の少ないマチュルク側には好都合だった。マヌではこうしたチタニア人たちを『火事場泥棒』と呼ぶ。彼らは命の値段にしては安過ぎる給金よりも、戦場での略奪をあてこんでいたからだ。

マチュルク軍は、広大なジャングルの中に無数の遊撃隊を配し、こそこそ逃げまわりながら奇襲をかけてくるので、ヴァータナ軍の数の多さはあまり有利に働かなかった。戦闘は一ヶ月、二ヶ月とつづき、時がたつにつれて泥沼化していった。

その当時、アシュラムは十六歳で、まだ黒龍山の道場で修行中だった。そこはわかりやすく言えば、士官養成所である。将校は作戦を立てたり、他人を管理しなければならない分、下級兵士よりも精神的にも肉体的にも成熟していることが求められる。なので士官候補生は軍隊に配属される年齢がほかの下級兵士よりも遅く、そのあいだに何年も厳しい訓練にはげむ。普通は二十歳が初陣だった。

だが、長引く戦闘で人員が不足しはじめたヴァータナ軍は、軍務に就かせる年齢を十八まで引き下げた。それでも十六には届かなかったが、アシュラムは、仲間が大勢駆り出されて行く中じっとしてはいられなかった。自分も大事な任務の役に立ちたくて、出兵を志願した。
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9章 オーロラの話 (2/2) ~ ドラゴン軍団

 

 

助けは来ないまま、そのままの状態で一週間経った。

とっくに爆音も怒号も泣き声も止んで、どちらも全滅してしまったかのように静かになっていた。それでもアシュラムは家の外に出ようとしなかった。動けるうちは床下から炊事場の水瓶まで這って水を飲み、壷に蓄えてあった生米を食べていた。傷が膿んで熱が出てくるとそれすらままならなくなり、一日中床下にいて、腐乱してウジがわいたジェダの死体のそばで、自分も死体のように転がっていた。便所にも行けないので、その場でしてしまうしかない。

ほんのつかの間、またあたりが騒がしくなった。外で人が走りまわる音、刀がぶつかりあう音や、砲撃の音もした。

それからまた静かになり、数人の人間が家の中に入ってきて、床板がきしんだ。

通常の精神状態だったら、足音が近づいてくるのを聞いて、喜ぶか怯えるかしただろう。がアシュラムには、その音が夢の中の音のようにしか聞こえなかった。自分の目の前で床板に斧が振りおろされても、まばたきもしなかった。一瞬、殺した女が生き返ったのかと思った。

壊された床板が持ちあがるのと同時に、アシュラムの胸に剣が突きつけられた。

そこに立っていたのは、白い肌をした赤毛の女だった。背後に同じく白い肌の男たちを従えている。チタニア人の傭兵たちだ。

女は剣を突きつけてもなんの反応もないアシュラムを見て、なまりのあるトゥミス語で仲間たちに言った。

〈ヴァータナ軍の兵士だ。担架で運んで、引き渡しておけ〉

ジェダの死体にも目をむけたが、女の心にはなんの感情も喚起されないようだった。女は冷徹な目つきのまま剣を収め、燃えるような赤毛をなびかせて去っていった。

それから傭兵たちの手でアシュラムは担架にのせられ、家の外に運び出された。道にはクワッパーが停まっていて、屋根のない荷車に、ハエのたかった死体が山積みになっていた。敵も味方もマヌ人もチタニア人も、全部ごちゃ混ぜだ。傭兵たちにとっては、きっと死体の区別なんてどうだっていいんだろう。

崩れ落ちた寺院の陰で、銀髪の魔法使いが捕虜の手足を生きたまま凍らせて、ハンマーで叩き割って遊んでいた。男は笑いながらハンマーをまわりの仲間にもまわし、その集団は大いに盛りあがっていた。

アシュラムは自分も捕虜になってあんなことをされるのか……と思いかけたが、よく見るとその捕虜はマチュルク軍の兵士のようだった。ということは、このチタニア人たちはマチュルク軍の傭兵ではないということになる。
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