13章 再会 (1/4) ~ 青い爪の踊り子

13 再会

 

 

ザレスバーグの海は、夕日に照らされて黄金色に輝いていた。

町は崖にかこまれた入り江の中にあった。内海は砂浜になっていて、そこから崖の上へは少し急な傾斜地になっている。斜面には白い箱形の家々がよせ集まって、そのあいだを縫うように細い路地とたくさんの階段がある。まるで岩に群生する貝のような具合だ。

馬に乗った旅人たちは、淡い光の残る崖の上の草原から、町を見下ろしていた。 ヴァータナを出てから、およそふた月。ララたちはとうとうザレスバーグにたどり着いた。

沈みかけの太陽は崖側にあり、町と岸壁は青みがかった影の中にあった。家々の窓にぼんやりと灯がともり、台所から夕げの煙が立ちのぼっている。

カラスは馬から飛び降りて崖っぷちまで走っていき、松林のむこうの海へと、思いきり石を投げた。ララは潮の香りのする夕なぎを胸いっぱい吸いこんで、期待と不安で高鳴る鼓動を鎮めようとしていた。

「ここにママがいるんだよね」

アシュラムのほうを振り返って、わかりきったことをまた聞いた。

「引っ越していなければいるはずだ」

三人は町へとつづく坂道を下っていった。

ザレスバーグは寂れた漁師町だった。人通りはなく、たまに見かけるのは老人ばかり。かわりに猫通りは激しくて、石畳の道のど真ん中を、のら猫が我がもの顔で闊歩している。建物の上にはみな屋上があり、そこで干物などを作っていた。

ここから世界最大の貿易港のあるトゥミスへは、馬で半日もかからないらしい。が、近過ぎるので、ここは商船の寄港地にはなっていないようだ。

ティミトラの家のくわしい住所はわからないので、町に着いてから探すつもりだった。狭い階段が多くて馬では動きづらいので、先に宿場に馬だけあずけてしまうことにした。

とりあえず目についた『ふぐ風船』という店に入った。入り口に膨らんだふぐの形をしたちょうちんがかかっている。中は一階が酒場で、二階が宿、というよくある造りの店だ。なので馬をあずける前に、酒場のカウンターでティミトラのことを聞いてみた。

「俺たちこの子の母親探してるんだけど。ティミトラっていう女の人、来たことない?」

カラスがたずねると、髪の薄い中年のマスターは即答した。

「来たことないな。トゥミスに行く旅行者はわざわざよってかないから、来たら忘れないはずだけど」

客はほかに一人しかいなくて、マスターは暇そうだった。

「旅行者じゃなくて、この町に住んでるはずなんだけど。赤毛の美人で、瞳の色はターコイズブルー。チタニア出身で、二十九歳。二年ぐらい前に耳の病気になって、耳が遠い」

「もしかしたら、出稼ぎに出てるどっかの娘かなあ」

「この子とすごく似てる」

カラスはカウンターの影に隠れていたララを椅子に座らせて、指さした。

「うーん……?」

さっきまであまり関心のなかったマスターが、あごを掻きながらうなった。

「その人、本当にティミトラっていうの?」

「そうだよ」

マスターは首をかしげ、カウンターの端のほうに座っていた漁師風の男に声をかけた。

「なあ、フェズ! この子、アデリーナに似てないか?」
次のページ

13章 再会 (2/4) ~ スパイ

  * * *

 

 

血の味がする。

目覚めた瞬間に、ララはそう思った。でも口の中はどこも傷ついていない。

横をむくと、ママの顔があり、青い両目で見つめられていた。目尻から横向きに涙が流れた痕が、ロウソクの明かりでかすかに光っている。

ララはベッドの上で、念願のママに抱きしめられていた。

「ママ……」

手を伸ばして、懐かしい匂いのする胸に顔を埋めた。ずっと求めていた温もりに包まれて、心地よくまどろみながら至福の笑みを浮かべた。

しばらくして、どこか別の部屋から男の悲鳴が聞こえてきた。

ララはドキリとして飛び起きた。それから自分がいつ眠ってしまったのか、記憶がないことにも気がついた。

「さっきの声、なに!?」

安堵感が一気に胸騒ぎに取ってかわった。

起きて部屋を見渡してみてはじめて、カラスが床に転がっていることに気づいた。こちらに背をむけ、死んだように動かない。手首を後ろ手に縛られ、腰にさした刀とナイフもなくなっている。

「カラス」

呼びかけても反応がない。

ララはわけがわからず、ベッドからおりて近よっていった。

「心配しないで。眠ってるだけだから」

ママからそう言われても、カラスの口もとには血がついている。

また血を吐いたんだろうか?

「カラス!」

ララは固く結ばれた縄を必死で解き、祈るような思いで揺さぶった。力ない体が、されるがままにひっくり返っただけで、血の気の引いた顔にはなんの変化もなく、起きてはこない。

ララは思わずカラスを抱きしめて、泣きじゃくった。

「ララ、どうして泣くの?」

すぐそばまで歩みよってくると、ティミトラは自分まで泣きそうな表情になって、かがみこんだ。

「眠ってるだけなんだよ? すぐに起きるんだよ?」

そうは聞かされても、血を吐いているし、本当に死んでるみたいに見えたし、動揺を止められなかったのだ。

そのとき、またさっきと同じ悲鳴が聞こえてきて、今度はそれがアシュラムの声だとわかった。

「アシュラム!? アシュラムはどうしたの?」

ララが問いかけると、ティミトラは切なげな目をして、捕らえるように抱きついてきた。

「ララはなにも心配しなくていいの。すぐに終わるから、大丈夫だからね」

「なにが終わるの?」

「ララはなにも見ないで、なにも知らないままでいいの。全部終わったら、ママと二人で普通に幸せに暮らそうね」

ティミトラはそう言って強引に笑みを作った。

ますます嫌な感じがした──さっきから悲鳴が聞こえてるのに、ママはなんだか変だ。全然大丈夫なんかじゃない。

ララの差し迫った鋭い目が、相手の腰にさがったプリモスの銃をとらえた。鏡のマントの男が持っていたのと同じ銃だ。ララは身をあずけるふりをして銃を抜き取り、母親を突き放した。

「ララ! 行っちゃダメ!」

制止を無視して部屋を出ると、声のするドアを開け、銃を構えた。
次のページ

13章 再会 (3/4) ~ 古傷

  * * *

 

 

カラスは意識を取り戻すと、あらためて部屋を見まわした。

アシュラムはまた別の椅子に縛られていた。今度は鉄の拘束具までつけられている。耳を切り取られたところには膏薬を貼られ、起きているのか眠っているのか目を閉じておとなしくしていた。

ほかにいるのはハザーン副隊長だけで、床に広げた小さな敷物の上であぐらをかいていた。

「気分はどうだ?」

と聞かれ、カラスは体を起こしながら、

「……悪いよ」と答えた。

あんな騒ぎを起こしたあとなのに、カラスはどこも縛られていなかった。普通に床に寝転がっていただけだ。

二人の声を聞いてアシュラムも目を開けた。カラスとは直接目をあわさずに、くたびれ果てた顔で床に視線を落としている。耳と木くずはもう片づけられ、血痕だけが残っていた。

「アシュラム」

話しかけてもあらぬほうをむいているので、近づいてまっ正面から顔をのぞきこんだ。目があうとアシュラムはにやにや笑いだした。

「マヤマヤ……」

意味不明なことをつぶやいて勝手に吹き出している。とても正気とは思えないような表情をしていた。カラスは驚いて、

「狂ったのか?」と聞いた。

「痛み止めが効いてて意識が混濁してるんだ」とハザーンが言った。

かなり強力な薬なのだろう。おかげでもう悲痛な表情をしたり、無実を訴える哀れな弁明をしなくなっていた。笑い終わったあとは虚ろな目をして、また眠そうにまぶたを閉じてしまった。さっきは意味のないことを言って笑っていると思ったが、考えてみたら自殺した女の名前だということを思い出した。

「ティミトラが話があるから来いって言ってたぞ」

「行っていいのかよ?」

「ここにいてもしょうがないだろ。いたってまともに話せない」

「そうだけど……」

「事情があって、おまえもティミトラの娘も、ヴァータナには連れて行かないことになった」

「こいつは?」急な展開に驚いてアシュラムを指さす。

「連れてく。娘はティミトラが引き取るから、もうおまえの役目は終わりだ。話が済んだら、勝手に帰っていいぞ」

「事情ってなんだよ?」

いきなり終わりだから帰れと言われても、帰る先がない。

戸惑ってすぐには動きだせずにいると、ハザーンは言った。

「不満があるなら、ヴァータナまでついて来て、こいつの弁護をしてやるか? 俺たちは夜明け前には、船でここを発つ。それまでに決めれば乗せてってもいい」

さらに意外な申し出に、カラスは不信感をつのらせた。

「あんたらの同僚がこいつに殺されてるのに、あんたはこいつが無実だと思ってるのか?」

カラスの口調が否定的だったので、ハザーンも意外そうな顔をした。

「さっきこいつを逃がそうとしたのはおまえだろ?」
次のページ

13章 再会 (4/4) ~ 告白

 

 

雪のような白い砂浜に、漆黒の波が打ちよせる。

見渡す限り、夜空の闇をさらに煮詰めたような大海原。風はその先から吹いてくる。

そんなこの世のものとは思えない潮風に髪をなびかせながら、カラスは裸足で波打ち際をほっつき歩いた。足の裏から、ひんやりとざらついた砂の感触が伝わってくる。波がぎりぎりのところまで押しよせてきて、触れることなく海へと引き戻されていく。ときどき高い波がきて、足もとをさらっていく。白い泡がシュワシュワ音を立てて弾け、優しく足をなでていく。夏とはいえ、夜なので水は冷たい。でも、自分の立ってる地面が崩れていく感じは、心地よかった。

カラスは波と一緒に引きよせられるように、海の中へと歩いていった。一歩一歩沈んでいく。なんとなく、どこまで行けるか試してみたくなった。

海水が胸の下あたりまできたとき、背後から声がした。

「カラス!」

振り返ると、波打ち際にララが立っていた。

なんでここにいるんだろう?

不思議に思いつつ、手を振った。波が押しよせてくると、脇のあたりまで飲みこまれる。立ち止まっていても、引き潮で沖へ沖へと流されているようだった。カラスはまた行く手に視線を戻した。

「待って」

ララが水しぶきをあげながら追いかけてきた。背が低いのですぐに体が水に沈んでしまう。両手で水を掻き分けるようにして、やっとのことで追いついた。肩まで水に浸かってしまっている。

「なにしてるの?」

ララはそう言ったが、それだけ聞きたくてわざわざ海に入ってきたわけじゃないだろう。息を切らして慌てて駆けつけてきたところを見ると、入水自殺でもしているとでも思ったのかもしれない。引き止めるように腕をつかんで、心配そうな顔をしている。

「おまえこそ、なにしてんだ?」

するとララはなにか言い訳を探すように、あさってのほうを見て、

「散歩」と答えた。

ちょうどそのとき、波が押しよせてララの鼻を洗っていった。ララはつま先立ちでカラスにしがみついた。

「しょっぱい!」

顔をしわくちゃにして、鼻水もヨダレもだらだら流しながら、塩水を吐き出した。髪が海藻のように顔にへばりついている。カラスはそれを見て笑った。

「嘘だね。本当は俺のことつけて来たんだろ?」

ララはいたずらが見つかってしまった子供のように、ちらっとカラスの顔色をうかがった。怒っているわけではないとわかると、恥ずかしそうに「うん」とうなずいた。

また遠くから波が迫りあがってくるのに気づくと、今度は塩水を飲みこまないように、カラスの肩につかまって体を浮かし、顔の位置を高くした。底に足がつかなくなると、泳げないララは不安になった。

「ここ怖い。こんなことしてたら風邪ひいちゃうよ」

カラスはララには見えないなにかが見えているかのように、黒い水平線をじっと見つめている。

「〝セイレーン〟って知ってるか?」

「え? うん」

ララは突然の問いに少し戸惑いながら答えた。

セイレーンというのは、よく神話や昔話に出てくる海の魔物だ。上半身は女性、下半身は海鳥という姿をしていて、美しい歌声で船乗りたちを魅了し、船を座礁させてしまう。どんなに意志の強い人間でも、その歌声を聴いたらたちまち虜になって我を忘れてしまうという。

カラスはよく聞こえるように耳に手をそえた。

「聞こえる」

ララも耳を澄ませてみたが、

「なにも聞こえないよ」

カラスは取り憑かれたような表情で、

「こんな綺麗な歌声が聞こえないなんて……、もっと近づこう」

ララに肩をつかませたまま、ずんずん沖のほうへ進んでいってしまう。海面がとうとう肩の上まできた。

「聞こえるか!?」

ララは必死でカラスの両耳をふさいだ。

「ダメ! 聞いちゃダメ!」

目の前で高波が壁のように盛りあがって、二人を頭から飲みこんだ。
次のページ