14章 別離 (1/3) ~ 花の都へ

14 別離

 

 

頬を軽く突っつかれて、ララは目を覚ました。自分でも気づかないうちに眠ってしまっていたのだ。

「くすぐったいよぉ……」

まどろみながら、にやけて砂の上で寝返りをうつ。

口の中がざらざらする。急に不快になって目を開けると、鼻先に猫が座っていた。肉球でネコパンチされている。

「うわっ!」

ララは飛び起き、つばと一緒に口の中に入っていた砂を吐き出した。

猫は少し離れると、小屋の主人のようにどかっと寝転び、大あくびをした。

体に巻いてる帆以外に、上からもう一枚かけられている。カラスがしていたユニコーンのペンダントが首にかかっていた。でも肝心のカラスがいない。

外からは日が射している。夜が明けてしまったどころか、昼の日差しだ。アシュラムたちは夜明けとともに、マヌにむけて船で出発すると言っていたのに……。

猫の手前の砂地に、文字が書かれているのが目に入った。字が下手すぎて、読むのに手間取った。

 

『ララ ママ いる。俺 アシュラム 船 行く。安心。ララ 好き。お元気ですか?』

 

「なにこれ?」

意訳すると、『ララはママと一緒にいろ。俺はアシュラムと船に乗って行くけど、心配するな』ということだろうか? 最後の『ララ 好き。お元気ですか?』は『おまえが好きだ。元気でな』と言いたかったのかもしれない。

ララはすっかり乾ききった服に急いで袖を通し、小屋から飛びだした。

まぶしく照りつける太陽が高い位置にあり、雲一つない青空に、海鳥が飛んでいる。昨日黒かった海は紺碧に変わり、目もくらむような白い砂浜に、澄んだ波がよせ返している。

桟橋では、海鳥と一緒に老人が釣り糸を垂れていたが、カラスの姿は見当たらなかった。

ララは母親の家まで走った。狭い石段を一気に駆けあがり、息を切らして玄関までたどり着く。窓の木戸は閉まったままだったが、ドアに鍵はかかっていなかった。

テーブルの上に『ララへ』と書かれた封筒と巾着が置いてある。封筒の中には手紙と、黒ずんだ鉄の鍵が入っていた。

 

『 ママは大事な用があって、またトゥミスに行ってくるよ。帰ったら一緒に暮らそうと思ってたけど、やっぱりララの好きにしていい。今まで寂しい思いさせてごめんね。会いに来てくれて嬉しかった。

家の鍵は封筒の中に入ってるけど、ここは危なくなるかもしれないから宿に泊まって。無茶はしないで、困ったら魔の森に帰って。

もし嫌な思いをしたら、我慢なんてしないで、あなたを大切にしない人のことなんて忘れて。どこでだれといても、自分を一番大切にしてね。

ママより』

 

巾着の中には、銀貨が入っていた。数えると、全部で10万シグ。

ララは、悪い夢でも見ているような気分で家中探しまわったが、だれもいなくなっていた。ママもカラスもアシュラムも、不気味なイスタファも、全員どこかへ行ってしまっていた。
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14章 別離 (2/3) ~ 怪しい取引

 

港に到着すると、フェズは木箱を手押しの荷車に積んだ。乾物屋にするめを売りに行ったら、港で船を探すのを手伝うと言ってくれたが、ララは一刻も早く船を探したかったのでそこで別れることにした。出入港船舶管理局の場所と、ザレスバーグに戻るにはどこで馬車に乗ればいいのかを教えてもらい、餞別に紙袋いっぱいのするめをもらった。

ララはお礼に、ポケットに入っていた飴を全部差し出した。が、フェズは、手の上にこんもり盛られた飴玉の中から、一粒だけしかつままなかった。

「これ、メロン味? うまいけど一つでいいや」

舐めると息が甘い匂いになる。

「本当にありがとう」

ララは大きく手を振って、フェズを見送った。

それから出入港船舶管理局にむかった。マヌに行くような長距離輸送船は、ここで出入港の許可を取らなければならないのだ、とフェズが教えてくれたのだ。港は広すぎるし、船も多すぎるので、まずはそこで聞いてみるのが一番だろう。

管理局は城壁の手前に張りついていた。大理石の大きな建物で、貴族の別荘のように洒落た造りだった。新築なのか、あちこちで石工が細かい部分を彫りこんでいる途中だ。それでも多くの人が忙しそうに行き交っている。

入り口近くにある大きな黒板に、これから出航する予定の船の名前と種類と行き先と出航時刻などが書きこまれていた。その中に、マヌ行きの船は一隻もない。

ちゃんと確認したいので、窓口の行列に並んだ。さんざん待ってやっと順番がまわってきたところで、今日マヌ行きの船が出る予定はないか? それとも、もう出たのか? 聞いた。

「ここは客船の券売所だよ。買わないならどいて」

窓口のおばちゃんに注意されてしまった。ララの後ろには行列ができている。次の客が今か今かと待ち構えていた。

「マヌ行きの乗船券はありますか?」

ララが聞き方を変えると、おばちゃんは指につばをつけて帳面をめくった。

「あるのは、二ヶ月先だねえ。運賃は片道で20万シグ」

「前に売られた券はいつのですか? 今朝出航のは売られてませんか?」

「前回は今月の頭だったかね」

それだと十日以上前だ。

「客船以外の船は?」

「この窓口は客船しか取り扱ってないよ。次の人!」

次の客がすかさず前に進み出て、ララは列から押し出されてしまった。

問い合わせる窓口を間違えてしまったようなので、ほかに聞けそうな窓口を探した。窓口はたくさんあって、どこも行列ができている。『税関』『旅券』『渡航申請』『船舶登録』──いろいろ案内の看板がかかっているが、全部見てまわっても、どこにたずねたらいいのかわからなかった。

右も左もわからず建物の中をうろうろしていると、思いがけず声をかけられた。

「ねえ、君。マヌに行きたいの?」
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14章 別離 (3/3) ~ 処刑台に向かう船?

 

  * * *

 

その頃、カラスは薄暗い船室で、空の酒瓶と一緒に床に転がっていた。

船が大きく揺れるたびに、空き瓶がゴロゴロと転がる。ここは物置だ。頭上では、弱々しい火のついたカンテラと、ハンモックが揺れている。窓が一つもないので、狭苦しくて空気が悪く、板材の隙間を埋めるタールの匂いで息が詰まった。ドアには外側から鍵がかけられ、閉じこめられている。ハンモックに寝ないのは、一度寝てみたら揺れすぎて気持ち悪くなったからだ。そうでなくても、船酔いで気持ち悪い。部屋の隅には、ゲロと小便が入った蓋つきのバケツがある。

今朝、カラスはララを一人海辺の小屋に残して、ティミトラの家に戻った。

家に戻ったらティミトラはもういなくなっていて、トゥミスに発ったあとだった。ハザーンに聞くと、一人でララを探しに行ったあと、暗い顔で帰ってきて、急に出掛けるなんて言いだしたという。娘のことであんなに取り乱していたのに、肝心の娘を残して、どうしったっていうんだろう? イスタファも一足先にどこかへ行ってしまっていた。

ヴァータナまでついて行くと言ったら、ハザーンは自分で言いだしたくせに驚いたような顔をしていた。出ていったときは、戻ってくるとは思わなかったらしい。奇妙なことに奴らは依然として、これは逮捕ではないと言っている。この待遇はどう見ても、囚人と変わりないのだが。

イェルサーガが用意した船は、ザレスバーグ沖の小さな無人島に停泊していた。夜明け前に手漕ぎ舟でそこまで行って乗りこんだ。外観は大きな帆船で、旗を掲げて帝国の属州からの商船を装っている。

だが、この船はただの帆船ではない。自然の海風だけでなく、魔力を原動力にしているのだ。『儀式の間』と名づけられた船室に、船を動かすことが専門のマヌ人の魔法使いが二十人くらい集まり、複雑怪奇な魔法陣をかこんで手をつないで、延々と呪文を唱えつづけている。帆に風を受けなくても一定の速度で進みつづけるので、普通の大型船よりかなり速そうだった。

アシュラムは今、貨物庫にある猛獣用の檻の中に入れられている。素手で人間の首をへし折ってしまうような男なので、より警備が厳重なのだ。

今朝も夕方も、アシュラムの血を飲まされた。量は一口分だが、鉄臭いのが口にまとわりついて、気持ち悪い。

ハザーンは俺が戻ってきたことで少しばかり好感を持ったらしく、もてなしのつもりなのか、物置きにラム酒を一瓶置いていった。そんなことするくらいなら、外に出しやがれってんだ。暇に任せて飲んだら、かえって船酔いを悪化させてしまった。

吐くものは全部吐いて、頭がぐらぐらする。

眠ろうとしても、眠れない。昨日ララと小屋といたときも、一睡もできなかったのに。

ララは今頃どうしてるんだ? 置いてかれたと気づいて、泣いたのか? 怒ったのか? 途方に暮れたのか? ティミトラが帰ってきてなかったら、ララは一人で置いてきぼりだ。それでも家さえあればなんとかなるだろうが。あいつのことだから、俺と違って、ちゃんと食べて、ちゃんと寝てるんだろうな。俺が無事に帰れる保証はないから、待ってなくてもいいが、とにかく無事でいて欲しい。そうじゃなきゃ、残してきた意味がない。

目を閉じて、ララのことを思い浮かべる。夕焼け色をしたやわらかな巻き毛。透きとおったターコイズブルーの瞳。ほっぺたはマシュマロみたいに柔らかくて、甘い味がしそうな、桃色の飴みたいな唇。口紅なんかいらないのに塗りたがる。しょっちゅう口のまわりに食べかすをくっつけてるクセに……。

俺の天使。

今すぐ触れたい。

どうにもならず、煮詰まった頭を床に打ちつけると、鈍い音と一緒に、気の遠くなるような衝撃が、一瞬なにもかも掻き消してくれた。

外からだれか近づいてくる足音が聞こえる。
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