15章 ホタル草 パート2 (1/8) ~ お化け屋敷と小さな鳥

15 ホタル草 パート2

 

 

窓のない倉庫の奥、猛獣用の檻の中。

アシュラムは鞭打たれたところに包帯を巻かれ、右耳にも膏薬を貼っていた。それでもズキズキと痛む。体の血も足りないような気がした。

ハザーンの気遣いで痛み止めを渡されたが、飲んでいない。効果抜群なのはわかったていたが、使うと恍惚となる以外なにもできなくなってしまうからだ。

不安も恐怖も感じなくなるから、傷の痛みだけでなく、心の痛みも取ってくれるみたいだ。でも、薬で我を忘れるくらいなら、痛みに耐えながらでも正気を保っているほうを選ぶ。同じ理由で、差し入れの酒にも手をつけていない。

檻の外ではモナンが見張りについていた。椅子に座って何度もあくびをしている。手には、囚人がなにかしでかそうとしたとき檻の外からでも仕留められるように、吹き矢を持っていた。毒針には獲物を麻痺させる毒が仕込んである。

無駄に言葉を交わす必要はないが、ハザーンが会話を禁じたので終止無言だ。まだほんの子供であるモナンが、海千山千の元近衛隊長に惑わされる防ぐためかもしれない。

することがなくて時間がありあまっているので、アシュラムはいつもの習慣で体を鍛えていた。そうやってなにかに集中しているあいだは痛みや雑念を無視できる。

しばらく体を動かしたあと、疲れて檻の隅に積まれた干し草の上に横になった。暗がりでじっとしていると、自然といろいろなことが脳裏に浮かぶ。薬で恍惚状態になっているあいだに幻覚を見たからだろうか?

鮮やかに、思い出すのは、ヴァータナにある自分の家とマヤのこと……彼女が死んでまだ一年半しか経ってないのに、もうなにもかも遠い昔のことのように感じる。

 

  * * *

 

「本当に酷い荒れようね」

ある蒸し暑い晴天の昼下がり、マヤはアシュラムの庭を見て言った。

二人はあばら屋の庭に立っていた。手には草刈り鎌とナタを持っている。

崩れかかった門をくぐると、シダが生え放題で、まるでジャングルのようになっていた。背の高い雑草をナタでなぎ倒していって、やっと家本体を見ることができる。本来なら大きくて立派な木造の平屋のはずだが、ベンガラ色の瓦は所々はがれ落ち、そこにまで草が生えている。全体的に傾いているし、東棟は絞め殺しイチジクに巻きつかれて破壊されていた。

「だから言ったろ? ちょっとやそっと草を刈って済むようなもんじゃないって」

マヤは草刈り鎌をぶらさげて、ぽかんとしている。

「すごい迫力。絵にしてみようかな」

「いいんじゃない? このイチジク気に入ってる。実がなると食べられるから、近所の子供が盗みにくる。勝手に入って肝試しもしてるみたいだ。俺を見ると逃げる」

アシュラムは笑いながら言った。

この家はもう長いこと使っていなかった。以前住んでいたのは自分が母親の腹の中にいた頃だ。母が実家から持ち逃げした金で、貧乏な父と息子のために建ててくれた家だった。

でも父が戦死してしまったせいで、結局家族三人でここに暮らすことはなかった。リュージュの屋敷に住んでいたあいだ、一度だけ母とここを訪れたことがある。あまりよく覚えていないが、そのときはまだこんなに荒れてはいなかったと思う。
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15章 ホタル草 パート2 (2/8) ~ 汚職の証拠

 

 

宮殿の中にある近衛隊長の執務室に、急な客がやってきた。ヴァータナの治安を守っている、ヴァータナ警務局の局長だ。

アシュラムはちょうど、南マヌでつづいている戦闘の戦果と被害についての報告書に目を通している最中だった。あいかわらず小規模な武力衝突が頻発し、やったりやられたりしている。敵のほうも痛手を被っているのは同じなので、あまり派手には仕掛けてこないが、裏を返せば大きな衝突がないためいつまでたっても決着がつかない。

「用件を言ってたか?」報告書を脇によせて、侍女にたずねた。

「今すぐお伝えしたいことがあるとだけ」

警務局は司法庁と軍から二重支配されているが、今の局長のカトゥーは司法庁との折りあいが悪かった。司法庁を通じてなにかの許可を得ようとすると、書類に何個も印を押してもらわなければならず、どうしても機敏に動けなくなってしまう。軍でも原則的には何人かの印をもらうことにはなっているが、司法庁ほど審査に時間はかけない。それにアシュラムは、急を要するなら、面倒な手続きを省いてしまうことが多かった。その場で判断して、必要なら、直接国王から承諾を得てしまうのだ。王の判断ならだれも文句は言えないし、まっとうな理由なら、王から拒否されることはまずなかった。そのため、カトゥー局長はすぐに決定を下してくれるアシュラムのもとへ頻繁に足を運んだ。

カトゥーは執務室に入ってくると、今日来た旨を伝えた。

彼らはヴァータナ市街でテロリストの一味を捕らえた。ブルーライトの売人で、下っ端の資金調達係だが、

「奴はヒカリ草をどこで栽培しているのか白状しました」

カトゥーは使いこまれた机の上に、マヌ北部の地図を広げた。郷ごとに点線で区切られていて、後から赤で印が書きこまれていた。

「この印のあたりです」

驚いたことに、印があったのは、ヴァータナの隣のナバフ郷だ。戦場になってはいないし、今までテロがらみの問題が起きたこともない。

「ナバフの地方長官がヒカリ草畑があるのを黙認して、賄賂をもらっているとも証言しています。デリンダの警務局も一枚噛んでる可能性があるので、まだこのことは知らせていません」

デリンダはナバフ郷で一番大きな街だ。郷政府があり、地方長官もそこにいる。別の郷にいる犯罪者は、その郷の警務局が逮捕するのが普通だが、デリンダ警務局の状況はわからなかった。局員の中に、賄賂を受け取ってテロリストと密通している者がいるということも、十分考えられる。長官自身も警務局に顔が利く。

「よくやった。ナバフ郷にはイェルサーガを送って長官を逮捕させるよう、陛下に進言する」

イェルサーガなら郷の区切りに関係なく動ける。しかもだれにも気づかれず秘密裏に動くのは得意分野だ。が、カトゥーは真顔で申し出た。

「私たちにやらせてください。私たちのほうが状況を把握しています」

ヴァータナ警務局の担当する事件は、麻薬がらみのものが多い。街では麻薬の売買を仕切る組織が暗躍していて、一度蹴散らしても、すぐまたボウフラのように湧いてくる。警務局はそうした抗争で、毎年殉職者を出していた。

彼なりに、思い入れがあるのだろう。真相を突き止められたのも、その執念深さがあったからなのかもしれない。

だが、アシュラムはカトゥーに否定的な眼差しをむけた。

「制圧力だけ考えれば、イェルサーガのほうが勝っている。それでも、おまえたちに任せる利点があるのか?」

「あります」

「確実に捕えられるな?」

「必ず」

熱心な男だ。

「なら、おまえたちに任せよう。ナバフで自由に動きまわれるよう、勅書を出してもらえるよう頼んでみる。逮捕する直前までだれにも気づかれるな。捕まえたら刑に処す前に、宮殿に連れてこい」

カトゥーは望み通りの返事が得られて、歯切れのいい返事をした。

アシュラムは机の上に置かれた地図に目を落とした。地方長官の汚職は失望させられる出来事だが、アシュラムの気分は高揚していた。

テロリストと役人がどんな仕組みで繋がっているのか、くわしく聞き出してやる。
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15章 ホタル草 パート2 (3/8) ~ 二人は姉と弟?

 

 

家の修繕をするのは楽しい。やればやった分家が綺麗になり、達成感がある。木材は切った通りの形になるし、塗料は塗った通りの色になる。種をまけばその種の花が咲く。そうやって完成したものを見て、出来映えに惚れ惚れするのもいい。自分たちが戦場や宮殿でやっていることとはえらい違いだ。やればやるほど壊れた物と人が積み重なり、片づけなければならない問題は、際限なく湧いてくる。期待してまいた種が、芽を出すとは限らない。とにかく、最善をつくすほど無限にやることが増えるのである。熱心なら熱心なほど、完璧からは遠退いていく。その点、住宅には完成図というものがある。

家は着々と完成に近づいていた。家の中の荷物を整理し、傷んだカーテンやマットを取り替え、使える家具はよく磨いた。最初は家の中の雰囲気をあまり変えないつもりでいたが、やっているうちに勢いづいてきて、大幅に変えることにした。センスのいいマヤにカーテンやマットを選んでもらって、前よりも洒落た内装にした。マヤは新しい観葉植物やビーズののれんを部屋に飾り、ベッドには簡素だが涼しげな薄い木綿の天蓋をつけた。ベッドに掛ける布もそれにあわせて選んだ。

その頃には、借りていた部屋を解約して、郊外の家のほうに移り住んでいた。マヤのおかげで自分の家とは思えないくらい素敵に整えられた部屋の中にいると、前の荒れ果てた家や、雑然として色気のない寮の部屋にいるよりも、ずっと居心地がいいことがわかった。以前より宮殿から遠くなったが、体力作りのために走って通えば、それはそれでいいものだ。

部屋にねずみ取りを置き、花壇も作った。

もうここで肝試しはできない。

一年のうちで最も暑い酷暑期もようやく後半へとさしかかろうとしていたある日、マヤは居間の広い板壁に壁画を描きたいと言った。アシュラムは喜んで承諾した。

彼女のアトリエでは絵のモデルをしたことがある。その絵は抽象的で、物は現実とは異なる幻想的な色の洪水で描かれていた。輪郭もあいまいで、作品によってはなにを描いてあるのか判別できないものもある。昔は写実的な絵を描いていたが、何度か作風を変え、そのような表現に行き着いたらしい。セシリオンではその作風に変えた途端酷評された。奇抜すぎたのだ。

けれどアシュラムはマヤの描く絵が気に入った。マヤの作り出す色彩は、理屈抜きに美しい。なにを描いているのかはわからなくても、不思議とそのときどんな気分で描いていたのかわかってしまうところもいい。笑っている絵、泣いている絵、怒っている絵──アシュラムはだれよりも正確に、絵からマヤの心情を読み取ることができた。バナナ一本描いただけの絵でも、伝わってしまうのだ。

壁画が完成すれば、もう家の中で直すところはない。

「完成したら、友達を呼んでパーティーとかしたら?」とマヤが言った。

「呼ぶような人はいないよ」

「近衛隊の人たちは?」

「仕事仲間を家に呼ぶ習慣はない」

「ふーん……。意外」

戦場にいたときは、腹を割って話せるような友人も何人かはいた。そんな仲間となら、一緒に飲んで騒いでパーティーでもやったら盛りあがるだろう。でも気のおけない仲間の大半は戦死してしまったし、残りはまだ遠く離れた南マヌのジャングルで任務についている。いつ戦死の知らせが届いてもおかしくない。それに比べて、ヴァータナでは知りあいが戦死する心配はまずない。が、宮殿にいると、どうしても相手との腹の探りあいになってしまって、戦地にいたときのようなつきあい方ができなかった。

近衛隊長になってから、顔も知らない親戚から祭日の贈り物が届く。結婚式に呼ばれたり、『今度息子が宮殿に勤めることになったからよろしく』なんて手紙が届く。『訪問したい』という手紙もあって、忙しいと理由をつけては全部断ってきた。おこぼれに預かろうという魂胆が見え見えの厚かましい連中だ。それまで母のことを一族の恥と言っていた祖父母ですら、俺のことを一族の誇りだなんて手紙に書いてよこす。こっちは関わりたくないから住所を教えていないのに、わざわざ調べたのだ。

「パーティーなら二人でやろうよ」マヤと二人きりのほうがなごむ。

彼女は「うん!」とうなずいて、嬉しそうに笑った。
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15章 ホタル草 パート2 (4/8) ~ 秘密

 

 

そんな生活が数週間つづいたある日、アシュラムは仕事でいつにも増して帰りが遅くなった。

勤務時間が終わりに近づいた頃、カトゥーから報告があり、逮捕されたナバフの長官が護送中、何者かに暗殺されたとわかったのだ。長官には一度逃げられ、やっと捕まえたところだった。長官は魔法使いに脳天を吹き飛ばされ、警務局員の一人が殉職した。

やったのはテロリストの一味か、でなければ長官と手を組んでいたほかの汚職官吏かもしれない。いずれにせよ、口封じのためにやったのだ。長官には大したことを聞き出せないまま死なれてしまった。アシュラムはもう少しでカトゥーのことを怒鳴りつけてしまうところだった。これではいつまで経ってもイタチごっこだ。

疲れ果てて家に着くと、居間に明かりがついていた。もうとっくに真夜中を過ぎているというのに、マヤはそこにいた。

「お帰り。遅かったね」彼女は筆を置いて気遣わしげに微笑んだ。

「まだいたのか」

「なんだか私がいると邪魔みたいな言い方」

長官の件でのいらだちが、そのまま口調ににじみ出てしまったようだ。

「邪魔なことはないよ。でも、もう帰ったほうがいい」

「帰るって今から? こんな時間に歩いてたら危ないじゃない。今日はここに泊まってって徹夜で絵を描いてく。そのほうが安全だし、いいでしょ?」

危ないとわかってるなら、さっさと帰ってろよ──そう言いそうになって、思いとどまった。だめだ。冷静になれ。いらだつな。

「それなら俺が宮殿まで送ってくよ」

「そんなことしたら、侍女に見られて、なにかと思われちゃう。帰らなければアトリエに泊まったと思うし、そのほうがいい。今すごく調子がいいの。このまま一気に絵を描き進めたい。お願い。今夜一晩だけここに泊めて」

マヤは目の前で両手をあわせた。

「だめだよ」

「絵を描くだけじゃない。せっかくつかみかけた直感を今すぐ形にしなきゃ、逃しちゃう。一芸術家としての頼みよ」

目がチカチカしてきて、アシュラムは両手で顔をこすった。

「アシュラムも疲れてるみたいだし、そのほうが楽でしょ?」

そうだ、俺はくたくただ。疲れきってるんだ……。

「わかった。今夜一晩だけだよ」

今はもう、これ以上考えたくない。

マヤは『やった!』と、弾むように拳を振った。

「俺は寝る。おやすみ」

アシュラムは寝室でベッドに倒れると、なにも掛けないうちに泥のように眠ってしまった。

 

しばらくして、なにかを叩きつけたような音で目が覚めた。まだ夜中で、あまり時間は経っていないような気がしたが、すごく深く眠れたようだ。さっきよりも体が軽かった。

「マヤ?」

もしかしたら侵入者ではないかと思い、刀を携えて居間をのぞいた。
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15章 ホタル草 パート2 (5/8) ~ 未来のかかった縁談

 

 

数日経っても、長官と警務局員を殺した暗殺者は見つからなかった。彼と関わっていた汚職官吏二名が処刑され、ヒカリ草の畑も焼き払われた。だが、肝心のブルーライトの密売経路はわからず、栽培していたテロリストは雲隠れしてしまった。こう逃げ足が速いと、どこかに密告者がいるのではないかという疑いが、ますます濃くなってくる。

今日もヴァータナではブルーライトが滞りなく出回っているはずだ、とカトゥーは言う。王国内には、ナバフで焼き払った以外にも、無数の花畑が存在しているのだ。

これまで、ブルーライトは南マヌの無政府地帯で作られているというのが通説だった。今回の事件は、それを覆す発見だ。おそらくナバフは例外ではない。統制が行き届いているように見えるほかの郷でも、同じような汚職官吏がいて、同じような花畑があるはすだ。

 

 

そんな折、絶妙なタイミングでマヤに縁談が舞いこんできた。相手はネブラルタスというトゥミス帝国の元老院議員。マヌとの国境付近に広大なサトウキビのプランテーションを持っている貴族だ。歳は四十で、子供はいない。

「トゥミス人の貴族がマヌ人を正式な妻にするんですか?」

アシュラムは驚いて、相談してきたリュージュに聞き返した。

「私も最初聞いたときは驚いた。でもネブラルタスのことを調べさせてみて納得したよ。彼は十年以上前、マヌ王国のセシリオンに留学したことがある。大して成績はよくなかったようだが、帰国後は自宅にマヌ人の娼婦を囲ってハーレムを作っているらしい。黒い肌にそそられる性癖なんだろう」

リュージュはえげつない言い方をした。相手の品性のなさが気に入らないようだ。胸もとに孔雀の羽飾りのついた薄紫の長衣を着て、自室のテーブルにひじをついて座っている。

マヤとはすぐに打ち解けられたのと違い、リュージュとは再会して以来、少年時代にはなかった距離感を感じていた。王と家臣という身分の差が、子供の頃よりはっきりしたせいなのだろう。そばにいると、そのことをなおさら強く再認識させられるせいなのか、月日が経つごとに距離が縮まるどころか広がっているような気さえした。

部屋には、アシュラムとリュージュ二人きりしかいなかった。マヤはまだこの縁談のことを知らない。

ネブラルタスからの使者は今街なかの宿に泊まっていて、三日後にもう一度返事を聞きにくる。

「姉貴はしばらく宮殿に帰ってない。アトリエを探させたが、そちらにも帰っていないようだし、また失踪したのかもしれない」

「いつからいないんです?」

「八日前だ」

マヤを家から追い出した日だ。しばらく見ないと思ったら、また放浪癖が出たのだ。

「どうして言ってくれなかったんですか?」

「おまえは話す暇もないくらい動きまわっていたじゃないか。それに姉貴が急にいなくなるのはいつものことだ。どこに行ったかわからないし、帰ってくるかどうかもわからんが、なにか返事をせねばなるまい」

「陛下はどうお返事なさるおつもりですか?」

「断るには惜しいが、本人が行方不明では話にならん。姉貴がいたとしても、受けるとは思えん」

マヤはこれまで十回以上あった見合い話を全部断ってきた。相手はいずれも高官の息子で、それほど政治的な意味合いのある縁談ではなかったので、まわりも押しつけはしなかった。

だが、トゥミスの元老院議員からの求婚なんて、逃したらまたとないことだ。トゥミス人はマヌ人に対する偏見が強いし、貴族が正妻に迎え入れたなんて話は聞いたことがない。もし、マヤとネブラルタスの縁談が成立すれば、元老院議員とマヌ王宮のあいだに心強い連絡役ができる。二人の子供は当然、マヌ人とトゥミス人のハーフだ。もし、それが跡取りになって、元老院議員になれば、マヌとトゥミスのあいだに友好関係を結ぶ大きな足掛かりになるかもしれない。
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15章 ホタル草 パート2 (6/8) ~ どうしても、やり遂げたいこと

 

 

ヴァータナ宮殿では、食事をしながら会議をする。毎晩王と高官たちは、大食堂で長テーブルをかこんで、一度に食べきれないほど大皿に盛られた料理を、ちょこちょこつまみながら討論する。宮廷料理人が複雑怪奇なほどに腕によりをかけた料理がずらりと並ぶ──紅ガエルのフライを口いっぱいに捕食したワニの丸焼き、食用花と飾り切りの野菜で泉の景色を模した巨大魚のスープに、一つ一つ色の違う貝の器を使ったマンゴーとココナッツ餅の重ね盛り……。口に入ったまま話すのは無作法なので、食べてる途中で発言したくなったときは、急いで飲みこむか、給仕係の持っている杯に吐き出す。食事はまずくなるし、討論にも集中できなくなりそうだが、この非効率的な会議が、伝統あるヴァータナ式である。

アシュラムは夕食の席で、ナバフ郷の事件をふまえ、今後取るべき対応策を提案した。

今の体制では、テロリストと癒着している官吏がいても、見過ごしてしまう。これからは各郷の行政機関に対する監査を今まで以上に厳しくし、一度ジャングルの奥地まで、ヒカリ草の花畑がないか徹底的に調査すべきだ。

「その案については、慎重に検討していこう」

宰相のシャンタンは、ナイフで肉を切りわけながら、やんわりと却下した。今まで『検討する』と言われて実行されたことなどないのだ。

長テーブルの一番上座にはリュージュが座り、その真正面の一番遠い席にシャンタンが座っている。アシュラムの席は王の右隣だ。ほかには財務長官、司法長官、宮内長官などが食卓をかこんでいた。

「証拠を隠滅される前に、監査役を送るべきです」

アシュラムが食いさがると、一同はナイフやフォークを持つ手を止めた。

アシュラムはリュージュのほうを見た。実を言うと、この提案についてはもう二人で話しあっていて、承諾を得ている。この場で、リュージュが王として同意する意思を示せば、すぐにでも動きだせる。

だが命令が下る前に、商取引取締役が口をはさんだ。

「念のためやっておくのはいいことかもしれん。しかし、ブルーライトが作られているのは、大部分が南マヌだ。ナバフは例外だよ。それともほかの郷でも栽培が行われているという証拠がおありか?」

「南部では昼夜問わず戦闘がつづいていて、双方ともいつ敵の襲撃を受けるかわからない状況です。とても一カ所に定住して農作物を育てられるとは思えません。実際戦地にいても、花壇程度の花畑しか見かけませんでした。それに比べてナバフの花畑は広くて管理が行き届いていました。ナバフだけが例外という考えに根拠はありません」

「だれに監査をやらせる? ジャングルを調査する人手は?」と司法長官。

「新しく監査部を作ります。ジャングルはローラー作戦で、地元の兵士に調べさせます」

すると、財務長官は口の中のものを吐き出して、ツバを飛ばした。

「監査部だって? 今ある部署に振りわけるだけで、予算を使い切っているというのに、そのうえまた新しい部署を増やす金がどこにある!? ローラー作戦にだって費用がかかるし、そのあいだ都市の防衛が手薄になるではないか。それだけの価値があるとは思えん! そんなことは警務局にやらせておけば十分だ」

「警務局は郷政府の内部にまで立ち入れませんし、現存の組織は情報がダダ漏れです。監査は第三者がやらなければ意味がありません。ローラー作戦で防衛が手薄になるのは数日のあいだだけです。全部の郷で一斉にやるわけではありませんし、手薄になっているところには中央から先鋭部隊を送って補います。各方面への監査を徹底すれば、その分の経費は捻出できます。今は用途もはっきりしないまま国庫から消えていく金が多すぎるのです。それを明らかにすれば、出費は増えるどころか減ることでしょう」

アシュラムは自信を持ってそう断言した。各庁の帳簿に不明瞭な点があることは下調べ済みだ。

高官たちはそれぞれ不快そうな顔をした。

「地方への監査だけでなく、我々に財布の中身まで見せろと言うのかね?」宮内長官が言った。

「そうです」

「経費に目を通すのは我々の仕事だ」と、財務長官。

「あなた方の発表する収支報告は大ざっぱすぎてわかりません」

「あなたは経理の人間ではない。わかる者が見ればわかるのです」

「作った本人しかわからない収支報告なんておかしいじゃないですか!」

「ご不満なら、後日別の報告書を送りましょう」

「その報告書があっているかどうか調べさせます」

高官たちの敵意の視線がアシュラム一身に注がれた。
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15章 ホタル草 パート2 (7/8) ~ 回顧展

 

 

雨期が訪れ、その日は早朝から滝のようなスコールに見舞われた。

アシュラムは傘はささずに、油紙製の雨がっぱを着て走り、宮殿の敷地内にある稽古場にむかった。近衛隊員たちは毎朝そこに集まって、武術の稽古をしたり、体力作りをしたりする。前の晩に寝ついたのが遅くても、アシュラムは決まって二番乗りにやってくる。一番ではないのは、隊長よりも早く来なければ気が済まない隊員が一人いるからだ。

そのプルナークという隊員は、アシュラムが稽古場にやってくる頃には、いつも全力で動きまわっている。とても無口で、暗い目をした男だ。笑っているところをだれも見たことがない。だからと言って害があるわけではないし、ほかの隊員とのつきあいが悪くても、もともと影が薄いので気にも留められなかった。実力の面でも特に目立ったところはない。他人よりも多く練習しているのに、基本的な運動能力も、刀の腕前も、どこをとっても人並みだった。

アシュラムに気づけばあいさつはするが、彼はほかの者のように世間話をそえたりはしない。ただ黙々と走ったり、練習用につりさげた砂袋を叩いたりしている。

そんな報われない努力家が、その日は稽古場の隅に腰をおろしていた。

「めずらしいな。休んでるなんて」

「今日はいつもより早く来てたんで」

プルナークは息をあえがせながら答えた。ついさっきまで体を動かしてたのだろう。アシュラムも走ってきたところなので、同じような状態だ。

給湯室でもらってきた温いお茶を、水差しからがぶ飲みし、プルナークにも勧めた。

健康のためにいい、という理由だけで飲んでいるものすごくまずいお茶だ。アシュラムはわざとそれを言わずに、水差しを手渡した。そしてプルナークが口をつけるのをおもしろがって見ていた。

吐き出すかな?

だがプルナークは顔色一つ変えず、普通にお茶を飲みほして、空の容器を返してきた。

「まずくなかったか? これ」アシュラムは驚いて聞いた。

「別に」

「俺は薬がわりだと思って飲んでるよ。慣れるとクセになるけど。体の老廃物を排出して、免疫力もつく……らしい」

「へえ」

「これが飲めれば、どんなにまずい飯でも平気になるって効用もある」

アシュラムはそう言って笑ったが、プルナークの表情は微動だにしなかった。

少しくだらなすぎたか……。彼はどんなことを言えば笑うんだろう?

プルナークは両膝にひじをつき、鼻先から汗をしたたらせて床を見ている。これ以上話しかけられたくない様子だ。なのでアシュラムも一人で砂袋を叩きはじめた。

しばらくすると、めずらしくプルナークのほうから話しかけてきた。

「隊長は頭にこないんですか?」

「なにに?」

プルナークは少し沈黙してから、

「いろいろ」と答えた。

アシュラムは言われた通り『いろいろ』なことを思い浮かべた。ナバフ郷のこと、リュージュとのこと、マヤとのこと、鳥の巣のこと、親戚からの手紙のこと、自分の瞳の色のこと……その他もろもろのことについても考えた。

「頭にくることなら、いろいろあるよ」

でも、そんな時はいつも、こう思うことにしてる。

──がんばれば、いつか上手くいくようになる。

「おまえもか?」と聞き返すと、プルナークは無愛想に「はい」とだけ答えた。いつもはあまり感情を映さない瞳に、思い通りにならないいらだちが映っている。

なぜなのかたずねても、彼のことだから、打ち明けてはくれないだろう。でも、わざわざ聞かなくても、いらだっている理由はなんとなくわかるような気がした。

アシュラムは木刀を持って彼に差し出し、

「手合わせしよう」と誘った。

二人で剣術の稽古をしていると、隊員が一人、血相を変えて飛びこんできた。

「マヤ様が……アトリエで首を吊りました!」
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15章 ホタル草 パート2 (8/8) ~ 死人の足音

 

 

マヤが死んでからも、アシュラムはなに食わぬ顔で自分の職務をつづけた。精神的にはかなりまいっていたが、できたばかりの監査部のことなどで忙しい今、自分が休んでいるといろいろなことで滞りが出て、まわりにも迷惑がかかる。はじめは無理して仕事に打ちこんでいたが、そのうちつねに仕事のことで頭をいっぱいにしていないと、気が休まらないようになった。そうやって集中しているあいだだけは、それ以外のことを考えずに済んだからだ。

各地に送った監査部員は、一向にヒカリ草の花畑を見つけてこない。が、ついでと思われた財政調査では多大な成果をあげ、何十人もの汚職官吏を摘発した。部員に選んだのは今の体制に不満を持ち、やる気だけはあっても権限をあたえられていなかった下級官吏ばかりだ。その多くが、徐々にアシュラムのことを崇拝するようになっていった。

ある日、執務室の前の小さな中庭で、空いた時間に植木鉢を片手に土をいじっていると、通りかかったリュージュが話しかけてきた。彼は手に釣り竿を持っていて、これから宮殿の敷地内にある釣り堀にむかうところのようだった。釣り堀は昔から宮殿にあったわけではなく、釣り好きのリュージュがあとから造らせたものだ。

「なにか植えるのか?」

「逆です。しばらく水をやり忘れたら枯れてしまったので、捨ててるんです」

アシュラムはしゃがんで、鉢に残った土を掻き出した。

「おまえは花を枯らすのが得意だな」

と皮肉を言われた。そういえば、ここのところ身辺警護のほうは副隊長に任せきりで、彼とは個人的な会話はしていなかった。

「おとといから執務室に泊まりこんでると聞いた。女官たちは、おまえがそのうち倒れるんじゃないかと心配しているよ」

「これくらいで倒れていては、戦場では生き残れません」

アシュラムは冗談半分に答えた。

「ここは戦場ではない」

「同じようなものです」

手についた土を払い、空の鉢を持ち直して立ちあがった。

「そうかもしれないな」

リュージュはそう答え、

「死人も出た」と言った。

監査の結果処刑された官吏のことか、それとも……

「姉貴が実家を出てく前に言ったことを、今でもはっきり覚えている。『おまえさえ生まれてこなければ、私は自由だったのに……!』」

酷いことを言ったものだ。

「マヤが自殺したのは陛下のせいではありません」

「そうだ。私だけのせいではない」

それまで冷静だったリュージュの口調が途端に感情的になった。

「おまえが縁談を受けさせろと言った」

思いがけず責任をなすりつけられて、アシュラムは眉をひそめた。

「私は進言しただけで、強制はしていません」

「確かにそうだ。それがおまえらのやり方だ。姉貴が死んでまだ日が浅いのに、おまえはもう何事もなかったみたいじゃないか。それどころか、ますます精力的になった」

「いけませんか?」

思わず攻撃的な口調になった家臣に、リュージュは批難の眼差しをむけていた。それが答えだ。

「もう、うんざりだ。姉貴はセシリオンに行って頭のおかしな女になって帰ってきた。怪しいトゥミス人の入れ知恵で、才能もないのに芸術家気取り。さんざん文句を言って出てったくせに、都合の悪いときだけ泣きついてくる。個展だって、絵のわかる奴が何人来た? 恥知らずもいいところだ。戦場からは、謙虚だった友人が傲慢になって帰ってきた。会った早々、指揮官面で『クレハを殺して王になれ』と命令する。おかげでいとこは死んだも同然だ。懲りずに今度は姉貴まで犠牲にした」

怒りと失望で、彼はやつれて見えた。

今まで、マヤのことも俺のことも、ここまで露骨に言われたことはない。でも、腹の中ではずっとそう思っていたのだ。

クレハをあんな風にしたのは俺じゃない。疑惑をかけられそうになったが、本当になにもしていないのだ。

「私のまわりにいるのは、私のことを利用したがってる奴ばかり。どいつもこいつも、面の皮の厚い嘘つきばかりだ。私にすりよって思い通りに動かしたがってる。おまえもそうだ」

リュージュは一方的に言いきり、猜疑心に取りつかれた目で、幼なじみをにらんでいた。

「違います」

「違うものか」

「違います!」

アシュラムは主人の御前にひざまずいた。

「私は陛下の僕です」

マヌ王は頭を垂れる僕を無視して、背をむけた。

その姿が遠くまで離れていってしまうと、アシュラムは立ちあがって、植木鉢を地面に投げつけた。鉢が割れる音がして、視界の端でリュージュが振り返るのが見えたが、目をあわさないようにした。

違うのか、違わないのか、自分でもわからなくなってきた。
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