16章 片目の男 (1/3) ~ 共命鳥

16 片目の男

 

 

夜明け前のヴァータナの空に、一羽の始祖鳥が唐突に出現した。背には、同じく幽霊のように姿をあらわしたイェルサーガの隊長を乗せている。

巨大な鳥は寝静まった街路にひらりと舞い降りると、銀色の刃を縛りつけられた足を土につけ、花のような翼を折りたたんだ。ここは高官の居住区なので、早起きの商人も路上生活者もいなくて、とりわけ閑散としている。わずかに星が輝く空は瑠璃色で、月の光も明るかった。いまだ東に朝日の気配はない。

ザレスバーグを出てから、まだ三時間しかたっていなかった。今頃むこうでは囚人たちを乗せた船が出航している頃だ。この驚異的な速さは、瞬間移動を何十回も繰り返しつづけた結果である。

イスタファの能力には、遠くに山のてっぺんまで見えれば、そこまででも一瞬で移動できるが、三歩先しか見通せない部屋の中だと三歩先にしか移動できない、という欠点がある。なので、空から広い範囲を見渡せる始祖鳥は、高速移動の必需品だった。

イスタファは始祖鳥を降りて、塀にかこまれた屋敷の門を叩いた。両開きの分厚い木の扉の横についた小窓が開き、小間使いが顔を出した。眼帯で帯刀の男が立っているのを見ても、終止無表情だ。前にもここを訪れたことがあるので、だれだか知っているのだ。

「ご主人様にお会いしたい」

イスタファがそれだけ伝えると、事情を全部知っているかのように、すぐに門を開けた。小間使いは背が低く、内側から見ると、小窓の前には踏み台が置いてある。だが大人しそうな顔はしていても、目には油断ならない気配を漂わせている。この小間使いが物騒な力を持つ魔法使いであるということは知っていた。が、実際に見たことはないし、口にするのは必要最低限の言葉だけだった。

「始祖鳥は小屋につないでおきます。ご主人様は奥の書斎でお待ちです。案内いたしますので、どうぞこちらへ」

ほかの小間使いがやってきて始祖鳥を引いていき、イスタファは小男の後をついて行った。

書斎に入ると、シャンタンが行灯の灯りを頼りに書をしたためている最中だった。漆塗りの机の上に紙とすずりが並べてある。

「お早いですね」

イスタファがあいさつがわりに声をかけると、シャンタンは筆を置いた。

「歳をとると朝が早くなる。あまり早く起きすぎるとやることがないから、最近はこうして詩を写すのが日課だ」

書に興味はないが、なかなかの達筆だ。共命鳥がどうこうと書かれている。

「達筆ですね。鳥の詩ですか?」

「共命鳥はたとえ話に登場する架空の生き物だ。一つの体に善と悪、二つの頭をもっていて、善の頭は昼に起き、悪の頭は夜起きている。二つの頭はつねにおたがいを憎みあっていて、あるとき、片方がもう片方に毒を盛って殺した。だが、体を通して生き残った方にも毒がまわり、結局は両方とも死んでしまった。これは人間の詩だよ」

イスタファは自分の教養のなさを露呈してしまい、社交辞令で聞いたことを後悔した。子供の頃から戦場にいたので、兵法と戦闘訓練以外の教育は受けていないのだ。

「ザレスバーグでアシュラムの身柄と赤い魔石を確保しました。今ハザーンとモナンが奴を連れて船でむかっています。国内の港に入るには早くてもひと月、ヴァータナまで始祖鳥を使うなら、そのあと数日はかかるでしょう。アシュラムは、宮庭内に潜んでいる裏切り者から石を守り、敵をおびき出すために持ち出したと主張してます。それに、ティミトラは戦場で奴の命を助けたことがあるらしくて、娘を助けたのは、その恩に報いたかったからだと」

「それが本当なら義理堅い話だな。だが滑稽だ。そのチタニア人たちはどうした?」

「むこうでティミトラの協力を得るために必要だったので、釈放しました。『二人を逮捕しないなら協力して魔石を渡す』という取引を持ちかけられたんです。調べたところ、彼らはつい最近までチタニアの森にいたただの運び屋で、政治犯でもないし、利用価値はありません」

「今石は持ってきているんだろうな?」

「もちろん。ですが、渡す前に確認しておきたいことが……」

石を後まわしにされて不満げな口調で、シャンタンがたずねる。

「なんだ?」

「アシュラムが、ワイアードをはめてクレハ様に毒を盛ったのは貴方だと言っています」
次のページ

16章 片目の男 (2/3) ~ 沈みゆく船

 

  * * *

 

ザレスバーグを出航して二日目の真夜中。

船室の中で、カラスは叫び声をあげた。

「どうした?」

部屋の外に立っている見張りの男が、慌てて声をかける。が、返ってくるのは悲鳴だけだ。それも今にも死にそうな声である。床の上をのたうつような物音も聞こえる。

「大丈夫か!? どうしたんだ」

気になって男が鍵を開けて中をのぞくと、部屋の中に囚人の姿がない。そして次の瞬間には、男は酒瓶で頭を殴られて気を失ってしまった。

カラスは男が気絶したのを確かめて中に引きずりこむと、身につけているものを探った。ドアの真横に張りついて、この機会をうかがっていたのだ。イェルサーガの隊員は二人しかいないので、囚人の監視に不慣れな船員を見張りに立たせていた。刀ではなく、だれでも扱いやすい棍棒をさげている。割れた瓶を棍棒と持ち替え、船室の鍵を見つけると、外に出て鍵をかけ直した。あいかわらず魔法が使えないままなので、こんな武器でもないよりましだ。

一度はヴァータナに戻って王の前で弁明しようと思ったが、やっぱり気が変わった。目指す宮殿はこの船上より遥かに危険だ。運よく疑いを晴らせたとしても、自由になれるかどうかわからない。死刑に追い込みたがっているような奴が待ち構えているのだとしたら、このまま黙って処刑台に近づくより、今ここでわずかな望みに賭けたい。

盗み聞きした船員たちの会話通りなら、この船はちょうど今、ナビリア諸島を通過中だ。以前乗った客船から、この海域の景色を見たことがある。波の穏やかな海に、岩礁よりひとまわり大きいくらいの小島が百以上散らばり、船は岩の島々の間をゆっくりとすり抜けるように進んでいく。大海原の真ん中で船から脱出しても、陸にたどりつける見込みはないが、ここなら島から島まで大して距離がないので遭難することはないだろう。逃げるなら今だ。

このままだれにも気づかれないようにアシュラムを見つけだし、なんとかして檻から出して、二人で脱出する。これを逃したら、あとはいつ機会がめぐってくるかわからない。

狭くて暗い通路を進みはじめたそのとき、船が激しく揺れた。よろめいて、壁に手をつく。つづいて通路の先の曲がり角から慌ただしい足音がして、数人の船員がこちらに走ってきた。

見つかった!

とっさに近くにあったドアを開けて逃げこんだ。暗い室内にはたたんだ帆や樽が高々と積んである。重い樽を一つドアの前に押して、入り口をふさいだ。

どこかほかの場所に通じていないか、なにか使えるものはないか見渡すと、積まれた荷の奥で、格子状になってる天井の一角から灯りが漏れているのが目に入った。そこを外して上に行けるかもしれない。荷物の上に登って確かめようとすると、とんでもないものが目に入った。格子蓋の上に、こちらを見下ろすような格好で倒れた船員の死体が覆い被さっていたのだ。

部屋の外の廊下を、何人もの足音が通り過ぎていくのが聞こえた。どうも様子が変だ。こちらから姿が見えたのだから、むこうだって気づいたと思うのだが。

それから聞き覚えのある小さな発射音が数回して、人が倒れるような音と、うめき声があがった。

「これで全部か?」

と、男の声がする。それから少し離れたところでほかの部屋のドアを開ける音がして、別の男の声。

「捕虜がいなくなってます」

「探し出して殺せ」

カラスは天井の格子蓋を死体ごと押しあげて、上に出た。
次のページ

16章 片目の男 (3/3) ~ 拷問者

 

  * * *

 

森に降り立った始祖鳥の背から、アシュラムは手荒く突き落とされた。後ろ手に手錠をかけられているので、体をかばうこともできずに胴体から地面に叩きつけられる。見あげると、イスタファが始祖鳥から降り立つところだ。始祖鳥にはザレスバーグで取りあげられた二本の刀もくくりつけられている。二本とも素晴らしい名刀なので、どさくさに紛れて持ち出したのだ。

飛行中に別々の進路をとったので、もうここにトゥミス軍はいない。イスタファは荷物の中から縄を取り出すと、アシュラムを近くの木の幹に縛りつけた。

「俺をどうするつもりだ?」

ついさっき船上であったことのせいで、感情的になっていた。イスタファは質問には答えず、縄をきつく締めあげながら、

「とんだ偽物つかませてくれたな。本物の魔石はどこにある?」

「石ならティミトラに渡した」

「知らばっくれるな。おまえがすり替えたんだろ」

「ちゃんと本物を渡した。ティミトラのほうは調べたのか?」

イスタファは口数の多い囚人を罰するように、ただでさえきつい縄をさらに引き絞った。縄が肌にくいこみ、骨を締めあげる。

「俺にはわかる。やったのはティミトラじゃなくて、おまえだと」

アシュラムは痛みに耐えながら、まだ懲りずに質問した。

「どうして船を沈めた? トゥミス軍と手を組むなんて、帝国のスパイだったのか?」

「俺はスパイじゃない」

イスタファは煩わしげにすぐに否定し、不愉快な疑惑を払いのけた。

「シャンタンが、船を沈めろと言ったんだ。奴はおまえの言った通り、クレハに毒を盛った犯人だった。だからそれに気づいたおまえのことを、自分に火の粉が振りかからないように消したがってる。ザレスバーグでおまえを捕らえると決めたときから、この作戦は決まってた。

囚人を船で移送して、移動の速い俺だけが石を持って先に発ち、トゥミスの治安維持局に、マヌ人のテロリストの乗った船が帝国の領海にいるとたれこむ。トゥミス側もマヌのテロリストに国内をうろつかれたくないから、始末するのには協力的だ。公式じゃないが、たまにおたがい国境を越えた凶悪犯の貸し借りがある。おまえの身柄だけは引き渡してもらって、残りは皆殺しさ。

最初からおまえと一緒にテレポートできたらもっと楽だったんだが、仕方ない。むしろ船ごと沈没させたほうが、王も高官も不審がらないから、かえってよかったのかもな。トゥミス軍が船の正体に気づけば、不法入国を理由に攻撃するのは当然だし、だれもシャンタンを疑わない」

おそらく、航路はわかっていたから、ナビリア諸島に戦闘機を配備して、待ちぶせしていたんだろう。

「なんでシャンタンの片棒を担ぐ? 仲間まで殺して」

イスタファは答えない。かわりに額に妙な汗をかいていた。殺しが日常の一部になってる男でも、仲間を殺したことには罪悪感を感じているんだろうか?
次のページ