17章 白昼夢劇場 (1/4) ~ 30年前

17 白昼夢劇場

 

 

クリスタルのシャンデリアがかかった半円形の広間で、ティミトラはトゥミス風のダンスを踊っていた。背後には大理石の円柱がならんでいて、そのむこうは緑濃い晩夏の庭園だ。強い夏の日差しの残りわずかな光を受けながら、石柱に絡んだブーゲンビリアが炎のように咲き乱れ、ジャスミンは甘い蜜の香りを漂わせている。数人の楽士が脇で演奏し、踊り手が動くたびに、手足についた鈴が鳴った。肩には生きた大蛇をのせ、ほかに身に着けているのは、胸を覆う何本ものネックレスと、腰の前後に垂らした金魚のヒレのように薄い布だけだ。汗のにじむ熱い素肌には、繊細なレース模様が描かれ、踊り子の青い目は豹のように鋭い。妖艶に腰をくねらせたかと思えば、長い金髪を激しく振り乱す。

その姿は、雲のベールの下から恥じらいがちに肌をのぞかせる月ではない。自らの欲望を見境なく振りまいて、見た者の目をくらませる、ふしだらな太陽だ。

リュンケウスは、クッションを敷きつめた大きなソファーにもたれかかって、それを見ていた。手には赤ワインを満たした金の杯を持っている。もうじき計画は最後の詰めに入る。だからそれは少し早めの祝杯だった。

「素晴らしい!」

踊りが終わると、リュンケウスは杯をテーブルに置いて拍手した。それから給仕係の持ってきた毒入りの杯を、ティミトラに差し出した。

「俺の成功を祝して、君も飲め」

彼女の息はまだ荒く、のどが乾いている。が、重たい蛇をかごに戻して杯を受けとると、中身を床にあけてしまった。血のようなワインが、大理石の床に飛び散った。

「ワインはいらない。水ちょうだい」

すぐに召し使いが床を拭きにやってきて、給仕係が水を持ってきた。

「失礼だな。こんな女は──」

リュンケウスはクッションの下に潜ませてあった小型の銃を取り、ティミトラにねらいをつけた。プリモス製ではなく、普通の金属で作られた模造品のような銃だ。

「撃ち殺してしまえ」

ティミトラは驚いたあと、苦笑いした。楽士たちは動揺している。

「冗談でしょ? これくらいで」

「冗談だ。この銃で撃っても死にはしない。麻酔銃だからな。アデリーナ以外は、もう下がっていいぞ」

楽士と召し使いは逃げるように出ていき、リュンケウスとティミトラだけが残った。まだ銃を構えたままだ。

「悪かったわ。ごめんなさい。許して」

「謝っても、許せることと許せないことがある。俺は酒のことで怒ってるんじゃない」

リュンケウスが「連れて来い」と奥の部屋にむかって声をかけると、仕切りのカーテンのむこうから、彼の手下が入ってきた。よく知った人物を連れて。

「彼がだれだかわかるな?」

マヌの外交官、ニカルガートだ。彼とは今朝も会ったばかりだ。そのときはなんの問題もなかったのに、いまは拷問を受けたあとのようで、手下に支えられてなかったら立つこともままならないほどボロボロになっていた。自然体を装っていたティミトラの表情が、一瞬緊張で硬くなった。それでも素知らぬ顔をして、こう切り返す。

「わからない。だれ?」

リュンケウスは笑った。

「とぼけても無駄だ。こいつが君の正体を白状した。君がグレナデンとイスノメドラの娘だってことも。驚いたよ。母親には全然似なかったんだな。英雄の娘が、敵国の軍人になってたなんて、トゥミス市民が聞いたらさぞ嘆くだろう」

ニカルガートはティミトラと目があって、うしろめたそうな顔をした。

「君が今朝彼に会いにいったときに捕まえたんだ。あとをつけさせてもらってね。君は一年前から、このニカルガートに、俺の顧客や兵器の情報を流していた。そうだろ? ティミトラ」
次のページ

17章 白昼夢劇場 (2/4) ~ 白昼夢

 

  * * *

 

ララがトゥミスにやって来て三日目のことだ。

時刻は昼過ぎ。ララはするめの入った紙袋を持って、早足で港にむかっていた。

船の出港は明日の早朝だというのに、お金を工面できていなかった。頼りにしていたママは見つかりそうにない。昨日から何軒も武器屋をまわったのに、一つの情報もつかめていなかった。

仕方ないので、ザレスバーグにいったん戻って、フェズにお金を貸してもらえないか頼んでみることにした。図々しい頼みだが、今晩までにほんの少しでも多くお金を用意しておきたかった。ママの家の中に売れる物がないか探してみてもいい。

駅馬車は運賃を取られるので、港でザレスバーグから来ている船を探す。頻繁にヨットが行き来しているようなので、ついでなら無賃で乗せてもらえるかもしれない。

急ぎ足で歩いていると、まだ入ったことのない武器屋を一軒見つけた。全部まわりつくしたと思っていたが、見過ごしていたのだ。とりあえず聞くだけ聞いておこうと、あまり期待せずに中に入った。

「ここでアデリーナって女の人働いてますか? 金髪の踊り子なんですけど」

店主は剣の並べ方をあれこれ工夫しながら、『いきなりなんだ?』という顔で首を横に振った。

やっぱりか……。

気落ちして出ていこうとすると、ほかの客から呼び止められた。

「待って! 待って!」

腕に竜の入れ墨の入った若者が、小走りで近よってきた。

「俺の知ってる奴かも」

「本当……?」

ララは男の少し物騒な風体を見て、尻込みしてしまった。でも彼の表情は気さくな感じだ。

「チタニア人だろ?」

「うん」

「もしかして、娘?」

「うん」

「へえー……」

入れ墨男は、改めてララのことを上から下まで観察したあと、

「それじゃっ、がんばれよっ」

と言って出ていこうとした。

「ちょっと待ってよっ。ママのこと知ってるなら、どこにいるのか教えてよ」

「ええ?」入れ墨男は困ったように振り返り、「知ってるったって、大して知ってるわけじゃないし、今どこにいるかまでわからないよ。役に立てなくてごめんな」

「それなら、ほかにもっと知ってそうな人いない? 私どうしても今すぐママに会いたいの。すごく大事な用があるの」

切羽詰まった表情で懇願されると、無視できないようで、

「今すぐじゃなきゃダメなの?」

ララはうなずいた。

「それじゃあ、知ってそうな人に聞いてみるから、ついて来なよ」

ララはにんまりした。

「ありがとう」
次のページ

17章 白昼夢劇場 (3/4) ~ ダリウス

 

 

それから実際に地下牢にいた時間はそれほど長くなかったが、ララにはとてつもなく長く感じられた。

夕方頃には牢を出て、別の部屋に移されていた。今度は地下室ではない。特等室と同じく、田舎娘には場違いなほど豪華な部屋だった。ララ一人では広すぎる天蓋つきのベッドの横には、黒ずんだ赤いバラの花束が飾られ、これからそこで起ころうとしていることの陰惨さを誤魔化すように、甘美な香りを漂わせていた。

ララは運びこまれたバスタブで入念に体を洗われ、かわいらしいが体が透けてしまうネグリジェに着替えさせられた。そして、銀の盆にのせた軽い夕食をあたえられたあと、ダリウスが部屋にやってきた。

彼はネグリジェを剥ぎとって、酷いことをした。

ララが抵抗しても無駄だと気づくのに、それほど時間はかからなかった。ダリウスは太っているが、脂肪だけで体が大きいわけではない。もの凄い怪力で、ねじ伏せられたらひとたまりもなかったし、運よく拳が腹に入っても、ぶ厚い肉に守れているので痛い顔一つしない。それに、もしダリウスの手を逃れることができても、ドアのむこうでは手下が見張っている。泣こうが、わめこうが、劇場の客たちには聞こえない。

重苦しい房飾りのついた天蓋の中で、ララは夜通し死体のように横たわっていた。虚ろな瞳を天井のほうにむけ、自分の魂が体から抜けだして、上から見下ろしているような幻想を抱きながら。

胸の奥で、なにかが壊れた。

ララは夢の中に逃げこむように眠ってしまい、朝日の差しこまない寝室で、ダリウスの口づけで目を覚ました。歯を抜くような痛みは消えていたが、鈍痛は抜けきらない。抵抗したときにぶたれたところと、強く口づけされたところが、アザになっている。彼は「おはよう」と声をかけてきたが、あいさつを返したいとは思わなかった。

死んだような目をして動かないでいると、ダリウスは心配そうにのぞきこんできた。

「顔色が悪いな。疲れてるなら、なにか精のつくものを食べたほうがいい。なにか欲しいものはあるか? 体が温まるチョコレートなんてどうだ? なんでも欲しいものを持ってきてやろう」

昨夜の凶暴さとは打って変わって、劇場で話していたときと同じ親切で優しい口調だった。

でも芝居を観ていたときと今とでは、なにもかも違ってしまっていた。

乗るはずだった船は、もうトゥミスを発ってしまっただろう。

会いたかった人も、もういない。

長いこと、家に帰りたいなんて思わなかったけど、なんだかとても、魔の森が懐かしい。でも今の自分が魔の森に帰っても、場違いのような気がした。セトたちは今でもいい子にしているだろうけど、おばあちゃんがいなくなって、あそこも変わってしまったんだろうか? 魂の抜け殻のようになってしまったカシムは、ちゃんと立ち直れたかな?

おばあちゃんが亡くなって、カラスがカシムを殴って出ていった直後、カシムが言ったことがある。カラスにはずっと秘密にしていたことだ。カシムは、カラスが来てから急におばあちゃんが弱りはじめたのは、カラスにかかった呪いを、自分が引き受けたからではないか? と言っていた。生きてるあいだにおばあちゃんに聞いたときは、『そんなことはない』の一点張りだったが、カシムは『先生はカラスの身代わりに亡くなった』と考えていた。初めてそのことを打ち明けられ、なんの確証もなかったが、ララも、もしかしたら……と思った。でも、本人が帰ってきても、だれもその話は口にしなかった。あんなにカラスを毛嫌いしていたカシムでさえ、なにも言わなかった。みんな何事もなかったかのように振る舞った。気を遣っていたのだ。

ララはダリウスの友好的な表情を見て、少し考えたあと、「ありがとう」と言って微笑んだ。彼はララが思いのほかすぐに笑顔を見せたことに驚いていたが、とりあえず従順になったので満足したようだった。
次のページ

17章 白昼夢劇場 (4/4) ~ 迷宮へ

この場所に、なにか答えがあるような気がした。かつて、おばあちゃんとおじいちゃんがここを訪れ、今はリュンケウスの持ち物になっている。そして、レネの兵器もこの中にある。入ったら無事に戻ってくることはできないような気がする。それでも、自分たちを翻弄したものの正体を、この目で確かめたかった。

振り返っても、追っ手は来ていない。断崖の上にはだれもいない。怖いくらい静かだった。潮風が草をそよがせ、波が岸壁に打ちつける音がする。あの演劇に描かれた三十年前と、変わらぬ音だっただろう。紫色の黄昏の空に、不気味な黒い尖塔がいくつもそびえている。

入り口の大きな門は開けっぱなしで、一見すると廃墟のようだ。

古城に踏みこむにあたって、なにも武器を持っていないことに気づいた。だがダリウスの手下たちがいる街にもう一度戻る気にはなれず、本能に導かれるまま中に入ってしまった。

中は窓がないからまっ暗だ。入り口からの光が届かないところは、完全な漆黒に塗りつぶされ、どうなっているのかがわからない。

魔法で手の上にかがり火を作った。

小さな火では数歩先しか照らせない。上を見ても、光が天井まで届かなかった。どこまでも無限に空間が広がっているように見えた。

なにが潜んでいるかわからない暗闇は恐ろしい。でもこれだけ暗ければ、いざとなったとき、火を消すだけで身を隠せる。逆手に取ればかえって好都合だ。

歩きだして、入り口から遠ざかっていくと、背後に気配を感じた。とっさに振り返っても、だれもいない。耳を澄ませても、なにも聞こえない。自分が入ってきた入り口が遠くに小さく見えるだけだ。心臓がバクバクいっている。

ララはなにもないところで勝手に怯えている自分に気づいた。

もっと冷静にならなきゃ。無闇に怖がる必要なんてないんだ。

深呼吸して気を鎮め、再び探索を開始した。

最初の広間を過ぎると、急に狭い通路ばかりになった。部屋はあまりなく、廊下は入り組んでいて、幅や天井の高さが唐突に変わったりした。横歩きでないと進めないほど細い通路や、屈まないと通れないほど天井の低い通路もあった。ここは『古城』と呼ばれているが、中はまったく城らしい構造はしていなかった。どこまでいっても通路ばかりでどこにもたどり着かないし、やたら複雑で規則性がない。外に通じる窓がないので、圧迫感と閉塞感を感じて、気分が悪くなる。

まるで、金属製の巨大な迷路の塊の中を歩いているようだ。

三人の英雄がここを攻略する前、ここへ入って戻ってきた賞金稼ぎはいなかったと聞いている。もしかしたら賞金稼ぎたちはキルクークに殺されたのではなく、迷路で迷って死んでしまったのかもしれない。

入り口が開けっぱなしで見張りも立っていなかったのは、そのせいなのでは?

そう考えるとぞっとした。

見通しのきかない迷路を歩きつづけるうちに、気分の悪さは増してきて、めまいがしてきた。寒気がするのに首の後ろを大量の汗が流れてく。ここまで走ってきたから汗をかくのは当然だと思っていたが、中に入って歩きだしてからずいぶん経つ。息も上がっていないし、暑いわけでもない。

ララは不快な汗を拭った。

少し生臭さが鼻をつく。

手を明かりにかざして見ると、べっとり血がついていた! 汗ではなくて血だったのだ。

恐る恐る髪の中を探ってみると、鋭い痛みが走った。さっき頭を打った時に傷ついたのだろう。妙なことに、触るまでまったく痛みは感じていなかった。

でも、こうして動けるし、大した怪我ではないのだろう。始祖鳥が墜落したときも頭を打って血が出たが、額を少し切っただけで、すぐに治ってしまった。

血を見て一度動揺してしまったせいで、さっきまでかろうじて覚えていた道順を忘れてしまった。来た道のりを思いだそうとしても、あやふやでこんがらがってしまう。

ドキリとした。迷子になってしまった。

また大きく深呼吸してみる。

そして、さっきまでの進行方向へと歩きだした。どうせ迷うなら、戻るより進んだほうがましだ。

入り組んだ通路をしばらく当てずっぽうに進んでいると、強烈な異臭が漂ってきた。

かがり火を大きくして行く手を照らすと、二手にわかれた道の一方に、斧とボーガンを持った二体の怪物の死骸が転がっていた。刃物のようなもので、頭と首を斬られている。

私以外にも侵入者がいたのだ。
次のページ