18章 無駄な努力 (1/4) ~ 武器商人の家

18 無駄な努力

 

 

プリモスの翼がハゲタカのように旋回している空の下。カラスは銃を構え、アシュラムの首にナイフを突きつけているイスタファの頭にねらいをつけていた。望みは一度きり。外したら最期だ。

カラスは引き金を引いた。……が、なにも起こらない。

「弾切れみたいだな。マヌケ野郎」

イスタファは手をかざして、

「死ね!」

と叫んだ。

カラスは危険を察知して、欄干から身を投げた。海面に落ちると、できるだけ深く潜りながら離れていく。水を掻くのに邪魔くさいので銃は捨てた。必死で泳いで後ろを振り返ると、暗い水中で、紫色の光線が雨のように降り注いでいた。その光の雨が止むまで待ち、急いで水面に浮きあがって我慢していた息を吸った。

船からあがる煙に炎が反射して、夜空が妙に明るかった。プリモスの翼が旋回をやめて遠ざかっていく。イスタファとアシュラムの乗った始祖鳥も飛んでいくのが見えた。

近くの無人島に降りたら、そこまで泳いでいってやる。

そう意気込んで始祖鳥を目で追っていたが、鳥は目視できないほど遠くまで飛び去ってしまった。

燃え盛る船とともに、カラスは海上にとり残されてしまった。船はもうすぐ沈没しそうだったので、巻きこまれないように離れた。一番近い小島まで泳ぎきり、岩棚によじ登って船のほうを振り返った。

巨大なかがり火と化した船が、上空に火の粉を散らしながら、徐々に黒い海に飲みこまれていく。船体が完全に沈んで見えなくなってしまうと、海はまた何事もなかったかのように、もとの静寂と暗闇を取り戻した。海上を漂う煙を月明かりが照らしている。

一息ついて、ハザーンからテレパシーで伝えられたことを考えた。

俺がザレスバーグで拷問されなかったのは、ティミトラがかばったからだ。考えてみれば簡単なことなのに、なんで言われるまで気づかなかったんだろう。いくら国のために働いてる人間とはいえ、彼女は自分の愛娘の命まで王に差し出すほど愛国心の塊ではない。ララを取り戻すために、前もってかつての部下たちと話しあってたはずだ。ついでに俺のことも。

謎が解けると、急にザレスバーグでの彼女とのやり取りを思い出して、自己嫌悪に陥った。

黒幕の武器商人と手を組んでいたのはイスタファで、すでに奴の口から彼女の正体がバレてしまっているかもしれない。武器商人の名前はリュンケウス。リチェとともに戦った英雄リュンケウスが、今ではプリモス兵器を売る死の商人であるということは、トゥミス国民ならだれでも知ってることだ。

ティミトラとリュンケウスの個人的なつながりが気になる。

だが今はそのことを考えている暇はない。彼女の安否はわからないが、正体がバレたら命取りだ。急いで行けば、まだ助けられるかもしれない。敵の本拠地がトゥミスなら、アシュラムだってそっちに連れていかれたのかもしれない。

目的地は決まった。
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18章 無駄な努力 (2/4) ~ 不意打ち

 

断崖の上の草地には、意外にも警備は一人も立っていなかった。そのかわり中に侵入できそうな窓は一つもなく、正門らしき黒い扉は固く閉ざされていた。背の高い扉は奇妙な文様で埋めつくされ、歯車のようなものが周囲にあって、入り組んだ管や線が、血管のように四方に広がっている。わかりやすい取っ手や鍵穴はなく、かわりに扉の脇に、なにかの記号が規則的に刻まれている部分があった。触ってみると、記号がうっすら薄紫色に光った。

どこかで見覚えのある形だ。エンゾの湖畔で殺した男の覚え書きにあった、古代文字と似ている。あの覚え書きはザレスバーグで捕まったときに荷物と一緒にとられてしまったが、書いてあるのは四文字だけだった。脳みそを絞って、どんな形だったか思い出す。

試しに似ている記号を探して指でなぞってみると、古代マヌ語で『地獄』という単語が、今度は赤く光った。

歯車がまわりはじめ、重そうな扉がゆっくりと、ひとりでに開いていく。落日の黄色い光がまっすぐ床に差しこみ、細長い光の帯の中に、いやに黒々とした自分の影が伸びていった。

中は一面プリモスの黒い床と天井で、まっ暗ながらんどうだ。もう人のものなのだから、もう少し人の気配があって、明かりくらいついてるのかと思った。とりあえず見える範囲に目を凝らすと、入り口の横に松明とマッチが置かれているのだけは見つかった。カラスは魔の森でやったように目印を残していくことを思いつき、ポケットいっぱいに小石を集めてから、先に進んでいった。

古城の中は迷路そのものだったが、今はその奥深くに踏みこんでいくことに恐怖を感じない。それくらい神経が昂り、逆立っていた。興奮で血が沸きたち、ゾクゾクする。漆黒の闇の中でも、カラスの目は夜目がきく狼のようにギラついていた。

分かれ道のたびに、小石を一つ目印に置いていく。歩きだしてから数分とたたないうちに、曲がり角で怪物に出くわした。ぬめつく肌にブタ鼻をした化け物が二体、斧とボーガンを手に襲ってきた。

カラスは手前にいた怪物の目に松明を突っこみ、二体同時に電撃を放った。怪物たちは電流をくらって少し痙攣したが、それだけで簡単に失神して倒れたりはしなかった。けれど魔法には鈍感でも、怪物たちの動きはあまり素早くない。カラスは目を焼かれてもがく怪物の頭をねらって、刀でとどめを刺した。そのあいだに少し奥にいた一体が、矢を放ってくる。カラスは敵の巨体を盾にしてよけ、次の矢が放たれる前に、射手のうなじに刀を振りおろして、焼けこげるまで放電した。

カラスは動かなくなった敵の体で、刀についた悪臭のする緑色の粘液をこそげ落とした。魔力を使ったせいで一気に疲れが増し、息を切らして両膝に手をつく。道はあいかわらず何本にも分かれていて、目印もなにもない。でも門番がいるということは、やっぱりその方向になにか守りたいものがあるんじゃないのか? 垂れてきた汗を拭うと、カラスは敢えて怪物が来た方向に足を進めた。
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18章 無駄な努力 (3/4) ~ レネの兵器

 

扉の先にあったのは、今までいた広間とはまったく別の空間だった。まっすぐのびた通路の両脇に、紫色のかがり火が等間隔に並んでいる。が、中が明るいのはかがり火のせいだけではなさそうだった。光源はほかに見当たらないが、日の光の下で見るのと同じような色でものが見える。まわりに壁はなく、ただなにもない暗闇が広がっているように見えた。

通路の先には円形になっている場所があり、そこに三つの人影があった。

中央にいるのは、マヌ王とまったく同じ装いをした三つ目の子供。顔に妖怪じみた化粧をして、服には孔雀の羽、頭には雄牛の角のような黄金の王冠をのせている。その左隣には、影のようにまっ黒な服とマントをまとったトゥミスの貴族風の金髪の男。右隣には、頭に包帯を巻いて紫色のマヌの民族衣装を着た男が立っていた。

子供だけはプリモス製の背の高い椅子に座っていた。脚が床に備えつけになっている。第三の目があるということは、これがクレハなのだろう。すると、金髪の男がリュンケウスなのか。リチェと大して歳は違わないはずなのに、ずいぶん若く見える。もう一人の包帯の男は──……

目をこらしてすぐ、それがアシュラムだということに気づいた。

怒り狂って頭に血が昇っていたところを、ふいに後ろから強打されたような気分だった。

「なんで、おまえがここにいるんだ?」

問いかけてから、イスタファに連れてこられたのかもしれない、と思った。捕われているんだ、たぶん。

でも、アシュラムは身体的な拘束は受けていない。縄でしばられたり、手錠をかけられたりもしていないし、金襴の帯に、一度取りあげられたはずの二本の刀をさしている。

貴人が目下の者と謁見するときのように、三人はカラスが前に進み出てくるのを待っていた。円形の床の中ほどでカラスが立ち止まると、貴族風の男が笑顔であいさつした。

「ようこそ。イスノメドラの弟子」

友好的な口調だが、うわべだけだろう。

「アシュラム……、なんだよこれ?」

アシュラムの表情は硬い。かといって、助けを求めてもこなかった。

「よく来たな。船でイスタファに殺されたかと思ってた」

「どうしてここにいるんだよ?」

「見てわからないか?」

「わかんねえよ!」

カラスが叫ぶと、アシュラムの口もとに、微笑が浮かんだ。なぜ笑う? からかってんのか?

「クレハを誘拐させて、魔石を盗んだのは俺だ」

一瞬、言ってることが理解できなかった。混乱しながら、頭の中を整理してみようとする。

「……それじゃ、イスタファとぐるだったのか?」

「いや。彼は俺を止める側だ。俺はヴァータナ宮殿で赤い石を偽物にすり替えて、本物は隠し持ってた。でもティミトラの推理と違って、魔石を持ち運んでたのはトゥミスにつづく新しい国道に入るまでだ。国道沿いの最初の宿場町で、おまえたちが寝ているあいだに、書簡に入れて早馬でトゥミスに届けさせた。船から連れ出されてから、イスタファから本物の魔石のありかを聞かれて、もう片方の耳もなくなったよ。しらを切り通したけどね」

俺もララも、石が偽物だということに全然気がつかなかった。偽物を用心して服の縫い目の中に隠してたなんて思ったら、馬鹿みたいだと思った。

「魔石は今、この神王の玉座にはめこんである」

アシュラムはそう言って、クレハの座っている玉座の背もたれの一部をなでた。クレハの頭上あたりに、青い石、黄色い石、緑の石、そして奪われた赤い石がはめこまれていた。四つの石は普段より強い輝きを放っている。
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18章 無駄な努力 (4/4) ~ どん底

 

 

床の下にはなにもなかった。

下から見あげると、入ってきた扉の先に床は見当たらず、鍵穴型の床が、なんの支えもなく空中に浮かんでいるのがわかった。

ここはこの世ではないようだった。かと言って、まだ痛みは残ってるから、あの世でもない。

中途半端で、宙ぶらりんな場所なのだ。

一歩間違えば、どっちにも転がる。

どちらか決める時はもう過ぎてしまい、今は底なしの闇の中を止めどなく落下していた。

明かりはないのに自分の体は見える。

傷口を押さえていないと、はみ出た腸が飛び出してしまいそうだった。

最悪だ。

恋人を無惨に殺され、友人にも裏切られた。

どうして、こんなことになってしまったんだろう?

人一倍用心してたはずなのに、なぜよりにもよって一番最悪な人間を信じてしまったのか?

気づくチャンスはいくらでもあったのに、取り返しがつかなくなるまで気づかなかった。

間抜けなのは今にはじまったことじゃない。両親や伯父、ありんこのときもそうだった。

正しい言い分を信じないで、間違った言い分を信じ、石は偽物だと気づかなかったし、銃を撃とうとすれば弾が出ない。仲間だと思ってたのは最低の奴で、守りたかったものは失ってしまった。

そんなボンクラな自分が嫌だった。この世から消えてしまいたかった。リチェの頼みを引き受けたときだって、もとはと言えば、俺はクズじゃないって証明したかったんだ。先生は死んでしまったけど、俺の魂は腐ってないって証明したかった。

なにか変わるんじゃないかと思ってた。

だけど、そんなこと、どうでもよかったんじゃないのか? 俺の人生なんてこんなもんだって、わかってたはずだ……。

苦悩も、痛みも、もうじき終わる。

長いような短いような二十二年の人生が、走馬灯のように浮かんでは……こない。

頭に浮かんだのは、みじめな少年時代でも、さまざまな美しいものや汚いものを見た長い旅の記憶でもなく、ここ数か月間のことだった。ララと過ごした楽しかった日々……。

それも永遠に失ってしまった。

カラスは指に絡んだ黒髪を握りしめ、呪いの言葉を口にした。

おまえを呪ってやる。

俺の苦痛を分けてやる。

さんざん苦しみ抜いて死ねばいい。

監獄塔にいた両目のない囚人みたいに、『殺してくれ』と言いたくなるまで苦しめばいい!

堕ちつづけ、自分の血と痛みを味わいながら、呪いの言葉を唱えつづける。そしてつかんでいた髪を、いつものように犬の死骸の口に突っこむかわりに、自分の口に突っこんだ。

ここには呪術に必要な道具もないし、魔法の効かない相手だが、神様でも悪魔でもなんでもいいから、俺の願いを聞いてくれ。

そのとき、不思議な声が話しかけてきた。

『呼んだか?』

耳元で囁かれているようにも、耳の中から聞こえるようにも感じる。

──だれだおまえ?

『私はおまえの〝憎しみ〟だ。おまえが呪いをかけるとき、私はいつもそばにいた。可愛い息子よ。私の牙にかかったときから、おまえは私のものだった。今まで何度も助けてやったのに。これは私を拒んだ罰だ』

カラスは薄れゆく意識の片隅で、失われた記憶の断片を取り戻した。

伯父の屋敷を抜けだして、裸足で森を逃げまわった夜、俺は狼に咬まれた。追っ手に見つからないように隠れた茂みの中に、狼がいたんだ。そいつは俺を助けてくれると言った。

やっと思い出した。先生が言ってた、俺に取り憑いてるとかいう悪霊の正体……

『また私を受け入れるなら、もう一度、おまえに生きる力をあたえてやる』

死にゆく体は黒い霧になり、服だけを残して、周囲の闇に溶けて消えてしまった。