0章 彼女の正義 (1/9) ~ ふざけた賭け

0 彼女の正義

 

 

暗い洞窟の中を、人魂のように光がさまよっている。

揺れる小舟にふせったまま、リュンケウスは仲間の掲げ持った松明を、息も絶え絶えに眺めていた。まるで臨終に幻覚を見ている老人のよう。でも、自分はまだ若いのだ。これから戦わなくちゃならない。ただ最悪の船旅の直後で、一瞬意識が遠くなっただけなのだ。

外の海は大荒れで、岸壁を叩く波の音が爆音のようにつたわってくる。鳴り響く強風が、亡者の叫びのように聞こえた。

「おい、なにぼけっとしてんだよ」

一足先に降りて松明を持っていた仲間が、じれったそうに急かした。狭い入り江の奥で、黒々とうねる波が、粗末な小舟を揺らしつづけている。リュンケウスは小舟の縁にしがみついて、なんとか声を絞りだした。

「船酔いして……」

這いあがろうと岸に手をのばしたとき、入り江に高波が押しよせて、次の瞬間には、小舟ごとひっくり返ってしまった。

リュンケウスは仲間の片手で軽々と引きあげられ、濡れネズミのような体を四つん這いになって支えた。連れのいかつい革靴が鼻先にあったが、抱え起こしてくれる気配はない。つきあいが長いから、顔を見なくてもわかるのだ。

グレナデンは腰にさげた剣が細剣に見えるほど堂々たる体つきで、丸太のように太いむき出しの腕についた水気を払いつつ、みじめな子分を見おろしていた。逆立った髪は、もう片方の手に持った松明と同じ、烈火のような赤毛だ。赤い火がごつごつと湿って黒ずんだ岩肌を照らし、少し大きすぎる男の影を投げかけている。

まだ塩水が鼻と口に残って激しくせきこんでいると、ついでに吐き気をもよおして、リュンケウスはその場で吐いてしまった。

「勘弁しろよ、まぬけっ」

グレナデンはひっかからないように飛び退き、顔をしかめて舌打ちした。その様子を見て、先に船を降りて奥のほうにいた若い娘が、駆けよってきた。

「仕方ないじゃない、体質なんだから」

そう言って、心配そうにかがみこんで「大丈夫?」と背中をさすってくれる。白くて細い象牙のような指だ。品のいい細剣を腰にさしていたが、使いこんでいないのは、この手を見ればわかる。

もし、ここに彼女と二人きりなら、もっとこの親切を素直に受けとれていたかもしれない。が、隣ではグレナデンが腕組みして、あきれた表情でこっちを見ている。こんな母親のようにおおげさに介抱されていたのでは、ますます自分が情けなく見えるような気がして、嫌な感じだ。

リュンケウスは「もう大丈夫」と言い、イスノメドラの手から逃れるように、無理を押して立ちあがった。濡れて顔に張りついたうっとうしい金髪を、邪魔にならないようになでつける。一瞬血の気が引いて、めまいがした。

それから、意識してしっかりと背筋をのばすと、人使いの荒い相棒に不満をこめて言い返した。

「こんな日に船出なんて、運が悪かったら着く前に死んでますよ」

グレナデンはまったく痛くもかゆくもない様子だ。それどころか、相手が臆病風に吹かれるのをからかうように、少し笑った。

「ちゃんと三人とも無事に着いたんだからいいだろ? それにキルクークだって、こんな日に船でやってくる奴がいるとは思わないだろうし。嵐のせいで、物音も聞こえにくい」

 

この先の古城には、キルクークという名の、肌の黒い魔法使いが住みついている。なんでも、港街の住人をさらっては食う、と噂だ。
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