0章 彼女の正義 (1/9) ~ ふざけた賭け

 

リュンケウスは階段から落ちないように手探りで進みながら、後ろを振り返った。

少し離れたところから、イスノメドラがついてくる。闇に浮かびあがるような白いスカートの裾が強風ではためき、濡れた白金色の長い髪が激しく乱れている。狭い階段のすれすれのところを歩いているが、崖に手をついてはいない。眉間に深いしわをよせ、怨念のようなものを漂わせた凄まじい形相が、前をむいていた。

まるでメドゥーサ!

リュンケウスは目をあわさないように、すぐ前をむいた。

「愛を説いてまわってるそうですが、とても愛し愛されてるって顔には見えませんね」

グレナデンにだけ聞こえるようにそう言った。

「欲求不満なんじゃねえの? 俺が見たところ、あいつは処女だね」

グレナデンはそう答え、好色そうな唇に野卑な笑みを浮かべた。

「どうせ禁欲主義者で、結婚するまで純潔を守るとかっていうクチだろ? 肉欲は汚れだとかなんとか言ってさ。生きてここを出られたら、俺はあいつをモノにするぜ。できると思うか?」

まるで狩りや競技の話でもしているような口ぶりだ。

「いくらなんでも無理ですよ」

「無理って言われるとなおさら燃えるね。よーく見てろ、難攻不落の鉄の牙城を攻略してやる。どうせなら、賭けようぜ。もし俺が失敗したら、この剣をやるよ。前から欲しがってたろ?」

そう言って、腰に下げた剣を軽く叩いた。それはプリモスでできた珍しい剣だった。戦場で殺した兵士からぶんどったものだが、もとはどこかの遺跡から流れてきたのだろう。古代人の遺跡と語り伝えられている場所は、ここ以外にも世界中に点在している。プリモス製の剣は何千年の時を経ても錆びることなく、美しい輝きを保っていた。ダイヤモンドよりも硬いので、いくら使っても刃こぼれを起こさない。しかもその切れ味は抜群だった。

「そのかわり、俺が勝ったら、おまえは100万シグよこせ」

「100万!? 高すぎる」

「報酬が入ったら、そんなのはした金だろ? それにこの剣は売ったら500万は下らない」

「……じゃあ、いいですよ。でも、やめといたほうがいいと思いますけどね。彼女はまともじゃない」

彼女の善行は賞賛に値する。のだろうが、いくら慈善といったって、やっていることが極端すぎる。天才と狂人は紙一重、とはよく言うが……。

「だから興味をそそられるのさ。普通じゃ退屈だ」

グレナデンは相手が尋常じゃないことをおもしろがるように言った。古物屋のテントで、次から次へと売り物の剣を取って試しては、自分の指を切りそうなほどよく切れる刃物を、欲しがっているような目つきで。

「もしかしたら、この城に死にに来たのかも」リュンケウスは、ふと思いついたことを口にした。

「そんな女なら要らない。俺は死ぬ気はない。生きて帰してもらわなくちゃ困る。イスノメドラは『私がいれば必ず戻れる』と言った。もしそれが嘘で、俺たちが城の中で餓死寸前になったら、まっ先にあの女を殺して食ってやる」

グレナデンの言葉は冗談とも本気とも判別つかない。さっきまでと違い、彼の青い瞳は冷たく、笑ってはいなかった。それから、淡々と低い声で奇妙な話をした。
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