0章 彼女の正義 (5/9) ~ 思いがけない恋

やがて、どこかから本当に楽士が連れてこられて、太鼓やリュートで陽気な音楽を奏ではじめると、樽のまわりに自然と人が集まって踊りはじめた。手を取りあってまわる夫婦のことを、子供たちがニコニコしながら見ている。そのそばでは、給仕の女を誘おうとした男が、慣れた様子ですげなく断られていた。

グレナデンがその様子を見てなにか言ったが、あまりの騒がしさに頭がぼうっとし、何度も聞き返さないと相手の言っていることもよく聞き取れなかった。グレナデンが顔を近づけて、「もう少し静かな場所で飲み直そう」と言いださなかったら、慣れないことに舞いあがりすぎて、熱でも出してしまっていたかもしれない。

頼んであった料理も全部こないまま、タダ酒にはしゃいでいる客たちも放ったらかして、逃げるように店を出た。それでも目ざとい酔っ払いが何人か興味本位であとをつけてきたので、振り切るために少し走らなければならなかった。

街のはずれにある、市民のために解放された庭園に潜りこむと、かくれんぼをする子供のように「早く! 早く!」と小声でせき立てあいながら、鬱蒼とした茂みにかこまれた柔らかな草地に身を隠した。木々の根元にスイセンとワスレナグサが植わっていて、みずみずしい夜の空気に甘い芳香をはなっている。遠くで噴水のほとばしる音だけがした。

草の上に座って、目があうと、二人とも同じような表情をして、悪ふざけの共犯者のようにニヤニヤしていた。空に満月が出ていて、月明かりだけでも相手の髪の一本一本まではっきりとわかる。

「いつもあんなお祭り騒ぎみたいなことしてるの?」まだ息を切らしながらたずねた。

「いつもじゃあない。戦勝祝いのときとか、たまにね。……今日は君がいたから」

「じゃあ、今日は私を口説き落とした戦勝祝い?」

戦利品は私? ──イスノメドラはそう考えて、少しおかしくなった。

だが彼の顔を見ると、そんなにおもしろそうには笑っていなくて、なんとなく落ち着かない様子で意味ありげな視線を返してきたので、妙な感じがした。おたがいにまだ息切れしたまま、ほんの少しだが言葉が途切れ、ふいに、こんな人気のない暗がりにやってきてしまったのはうかつだったかもしれない、と気づいた。

でも彼がすぐに「飲み直そう」という先程の言葉通り、持ってきた素焼きのデカンタをすぐ取り出したのでホッとした。

「まだ勝敗を決めるのは早そうだ……。それにしても、あんなにジロジロ見られてたんじゃ、悪いことはできないな。古城から戻ってから、どこに行ってもあんな感じだ。珍獣じゃあるまいし。君は見られるのは慣れてるんだろう?」グレナデンはそう言って困ったように頭を掻き、ワインをすすめてきた。

「私は追いかけまわされるんじゃなくて、石を投げられるほうよ」

酒杯がなかったので、イスノメドラは差し出されたデカンタに直接口をつけると、渇いた喉に勢いよく流しこんだ。すぐには口を離さず、ぐいぐい飲みつづけているのを、グレナデンは横から意外そうな顔で見ていた。

「つまみも持ってくればよかったな」

イスノメドラはすかさず懐から腸詰めを取り出した。グレナデンはそれを見ると突然、こらえきれなくなったように吹き出した。

「腸詰めを持ったまま走ってたのか? ──君が!」

緊張が解けて、今頃になって酔いがまわってきて、イスノメドラの表情もいつになく緩くなっていた。

「だって腸詰めが一番しまいやすかったから。……でも、やっぱり丸焼きを持ってきたほうが、お気に召したかしら?」

なんでそんなに笑うんだろう? と思ったが、グレナデンはそれを聞くとますますおかしそうな顔をしていた。

酒場の喧騒から逃れ、笑い声も止んで、また遠くの噴水や葉擦れの音しかしない庭園の静けさに包まれると、急に気の抜けた感じがした。草木もまどろむような穏やかな月の光に照らされて、持ってきたものに手をつけながら、やっと身構えずに言葉を交わすことができた。

とはいえ、そのあと話をしたのは、ほとんどグレナデンのほうだ。
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