0章 彼女の正義 (8/9) ~ 知りたくもないこと

 

 

外は肌寒く、小雨が降りだしていて、リュンケウスは自前の馬車を呼んだ。

治局の重厚な石造りの建物を出るあいだ、だれに声をかけられることもなく、見られることもなかった。少し前までは死刑になるかもしれなかったのに、何事もなかったかのように簡単に出られた。交渉はすべてリュンケウスがやったので、治局のだれに賄賂を払ったのかも知らない。知りたくもなかった。

イスノメドラは放心したような表情で彼についていき、門の前に停められたガラス窓のついた二頭立ての馬車に乗りこんだ。

自分を支えていた芯が、急になくなってしまったような気分だった。とても自分が正しいことをしたとは思えない。帰ったらこのことをグレナデンにも話さなければならないのかと思うと、胃がキリキリ痛んでくる。真相を話しても、嘘の証言をそっくりそのまま話しても、どちらにしろ、辛辣な反応が目に浮かぶ。

帰りたくない。

そんな気持ちを察したかのように、リュンケウスは言った。

「グレナデンに今日のことを説明するのは大変だろうし、少しうちによって休んでいったら? 朝からろくなもの食べてないだろう。簡単なものならすぐ出せる。なんなら、うまい言い方を一緒に考えてもいいし」

「そうね……、そうさせてもらうわ」

最近は二人でいても、気が休まるどころか、気まずい思いをする一方だった。留置所にいた時間は長かったのに、グレナデンは来なかった。たぶん心配はしていないだろう。まだ日も暮れきっていないし、そんなに遅い時間じゃない。気持ちの整理もついていないし、このまま帰っても、ちゃんと話せる自信がなかった。

リュンケウスは、自分の家にむかうよう御者に声をかけた。

イスノメドラはビロードの座席に浅く腰掛け、水滴のついた窓ガラス越しに、ぼんやりと外を見ていた。雨に降られて小走りで動きまわっている通行人や、窓から洗濯物を取りこむ主婦の姿が見える。曲り角を自宅とは反対方向に曲がったのがわかり、胸をなでおろしている自分に気づく。

「私、あなたのことずっと誤解してた。もっと嫌な人かと思ってた」

そう本音をつぶやいて、隣にいるリュンケウスのほうにむきなおった。彼は驚いたようだ。

「俺がなにか悪いことした?」

グレナデンから悪口ばかり聞かされていたせいもあるのだが、実を言うと、古城で皮肉を言われたことが、ずっと引っかかっていたのだ。

でも、よくよく考えてみれば、あんな穴蔵の中に置き去りにされたら、だれだって恨み言の一つや二つ言いたくもなるだろう。彼にずっと恨まれているのかと思ってた。でも違った。私が見捨てたのに、彼は私が窮地に陥ったとき、助けにきてくれたのだ。

「なにも、嫌なことなんてしてない」と答えて首を振った。「私の勝手な思いこみよ。あなたはいい人だわ」

リュンケウスはそう言われて嬉しそうに笑った。

窓の外に鏡のマントをまとった兵士の姿が見えた。

「これ以上危険な兵器が外に流出しないように、黒い古城を買い取ったって話聞いたわ」

リュンケウスはもらった賞金のほとんどを、あの古城を買い取ることに使った。古城にはまだ、キルクークが掘り起こしたような、危険な古代の兵器が眠っている。それがトゥミス軍のものになれば戦争に使われることになるだろう。彼はそうなる前に、城を管理する権利を買い占め、兵器がトゥミス中に出まわることを防いだのだ。あのマントのように、いくつか流出してしまった知識もあるが、なんの手も打っていなかったら、今頃もっと大変なことになっていただろう。
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