3章 迷いの森 (2/8) ~ 赤毛の美女との夜

  * * *

 

 

四年前のことだ。

俺は呪術を使ってかろうじて食いつなぎながら、大陸中を転々と旅していた。転々としていた理由は二つある。一つはいろいろな土地を見てまわりたかったから。もう一つは、呪いをかけた相手から報復されないためだった。

マヌの田舎町をいくつかまわり、ヴァータナには二ヶ月くらい滞在していた。その日はたまたま気がむいて、行きつけになってた宿の近くの酒場ではなく、少し離れた別の酒場に入った。初めて入ったその店でも、いつものように安くて強い酒を一杯だけ頼んでちびちび飲んでると、赤い髪をした見知らぬ女が、チタニアなまりのトゥミス語で話しかけてきた。それがティミトラだった。

「ここ座っていい?」

彼女は俺の使ってた小さな丸テーブルに、さりげなく自分のデカンタを置いた。店の中は混み合っていたわではない。まだ宵の口だったので、空席だらけだった。

あまりニヤニヤすると格好悪いと思ったが、我慢しきれず頬がゆるんでしまう。

「なんでここに座りたいんだ?」

笑いをごまかしてからかうと、彼女は微笑を浮かべ、こう答えた。

「あなたが一人で寂しそうにしてたから」

切り返しの早さが、すごくクールだと思った。

「俺は別に寂しくはないよ。一人で飲むのが好きなんだ。君みたいな美人と飲むのはもっと好きだけど」

その頃は、どこの街でも、夜は一人で酒場に入るのが習慣になっていた。いつも酔いたいと思ってそうしていたわけではなかったし、そこでだれかと交流を持ちたいと思っていたわけでもない。夜な夜な酒場に入り浸っていたのは、宿にいてもすることがなかったからだ。せっかく知らない土地を旅しているのだから、殺風景な部屋の壁を見ているより、行く当てがなくても外に出て、その土地の空気を感じていたかった。その点、こうして夜遅くまでやってる店の中にいれば、地元の客に溶けこんで、好きなだけ物思いにふけったり、なにも考えないでいたり、ほかの客を観察したりして、時間を潰せる。

客はほかにマヌ人しかいなかったので、白い肌に赤毛のティミトラはとても目立っていた。俺の姿も、彼女から見たら目立ったのだろう。

「今まで何人に同じこと言ったの?」

「100人くらいかな? でも、君ほど綺麗な人なんてはじめて見た」

彼女はこれを聞いて笑った。

「じゃあ座っていい?」

「どうぞ」

テーブルの向かい側に座ったティミトラは、汗だくでほこりまみれの運動着みたいなものを着ていて、いかにもひと暴れしてきた後のようだった。でも中身はお世辞でもなんでもなく、本当に、ぞくっとするほど美人だった。顔にかかった長い髪をかきあげる仕草がいい。少し体を仰け反らせると、玉のような汗がうっすら上気した首筋を伝って、鎖骨のくぼみや肌けた胸元に流れていく。焼けた砂浜みたいに熱っぽい肌なのに、瞳はターコイズブルーで涼しげなのも魅力的だった。

俺は彼女の気をひきたくて、いつになく饒舌にこれまでの旅の話をはじめた。行った土地のこと、そこで出会ったもののこと。

大海原の船上に現われた蝶の大群。滝壷に水が落ちる前に全部霧になってしまう高い滝。くる日もくる日も黄昏のつづく白夜の街。水銀が湧きでる井戸。砂漠で釣った砂の中を泳ぐ魚。砂塵に浮かぶ赤い月。荒野の果てで旅人たちを惑わせる、蜃気楼の宮殿……。

多少誇張はあったが、こういうのは正確さよりおもしろさを優先するほうだ。『旅をしている』と言えば、『どこに行くのか』とか『どこから来たのか』とか、だれでもなにがしか聞いてくるので、特に女の子が相手なら、開口一番にそう言った。盛りあがる話題がそれだけでも、相手がその話に飽きるまで一緒にいることはなかったから、別に困りはしない。そのときも、おたがい故郷の言葉で話すのはひさしぶりだったせいもあって大い盛りあがった。

「ロマンチックねえ」

ティミトラは感心したようにつぶやき、

「いつまで旅をつづけるの?」

と聞いてきた。
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