3章 迷いの森 (3/8) ~ 呪いの依頼

 

 

その三年後に、俺が魔の森にたどり着いたのは偶然だった。チタニアの酒場で、呪術の客待ちをするために店主にいくらか場所代を払い、隅のほうのテーブルで、わざと目につくように紙の人形を切り抜いていると、いがぐり頭でぶ厚い瓶底みたいな眼鏡をかけた中年男が、魔の森の魔女の話を持ちかけてきたのだった。

男は、俺がテーブルに置いた赤いろうそくや、看板がわりに立てかけている呪術に使う太鼓──丸い木枠に狼の皮を一枚張っただけの軽い太鼓だ──を、横目で品定めしながら行ったり来たりしたあと、口をへの字に結んだまま、前のめりに腰をおろした。レンズのせいでトンボのように目が大きく見え、たった今どこかから逃げ出してきたみたいに落ち着きのない様子だった。

その女の名はリチェといい、長いこと独り身の未亡人だ。夫を亡くした若くて美しいころ街からやってきて、そのままそこで萎びたババアになった。もともと都会生まれの育ちのいい入植者で、いろいろと貴重な知識を持っているので賢者と呼ばれることもあるが、本当は血も涙もない酷い女なのだという。

このあたりの先住民を見下していて土地の者とは話したがらず、力を貸してもらおうと森を訪れる者がいても、相手を値踏みして冷たくあしらう。弟子と称する男たちにかしづかれて生活しているが、そいつらは魔女の魔法のせいでちょっと頭がいかれてるのだ。以前その中の一人が、村の子供に乱暴して火傷を負わせたことがある……

要約すればそんな話だった。俺は魔の森やそこに出る悪霊の話は知っていたが、魔女の話は初耳だった。でもおもしろそうなのは最初だけで、次第に男が似たような恨み言を繰りようになると、すぐにうんざりして、右から左に抜けはじめた。

あとはあくびを噛み殺してうなずきながら、調理場の匂いにつられて晩飯の献立を考えてた。仕事中は客がどんなにつまらない話をしようと、不条理なことを言おうと、否定はしない。言いたいことを言わせて不満のはけ口になるのも料金のうちだ。もしも反省などされて、やっぱり呪術を使うのはやめる、などと言われたら困る。

しばらく親身になって耳を傾けるふりをしたあと、いい頃合いを見計らって、手のひらほどの大きさの人型の紙を差しだした。

それに呪いたい相手の名前を書かせて、客本人に釘で刺すなり叩かせるなり、破くなり焼くなり、好きなようにさせる。文字が書けないなら、ただ相手のことを思い浮かべながらバツ印を書くだけでもいい。

この挙動不審なろくでなしはかなり興奮しているし、うまくいけば、物も売りつけられるかもしれない、と思った。割ると悪夢を呼ぶクルミの実なんてどうだろう? 本当は市場で買った普通のクルミだが……。

しかし、男は紙を突き返し、「そんな子供騙しをするつもりはない。あんたらは、金さえ払えば、本当に他人の人生を狂わせるような呪いもかけられるんだろう?」

そう言って金貨をちらつかせ、リチェの髪を渡してきた。

それは銀糸のような、一本の白髪である。

チタニアに来てから、一日おきにしか客がつかないような日々が長いことつづいていて、その男は三日ぶりの客だった。その日は夏の終わりの肌寒い晩で、急な寒さが、いまだに夏物の服を着ている身にしみた。冷気が吹きこまないよう家々は固く木戸を閉ざし、夜道を歩く人影もまばらだ。さえない暮らしに身をやつして鬱憤の溜まっている人間は多そうなのに、うさん臭い憂さ晴らしに興じる余裕などないほど、不景気なようだった。

俺は金の心配をしはじめていた。その男の話にのれば、一気にその問題は解決できる。

俺は髪の毛を受け取ると、前金をもらって、さっそく準備にとりかかった。
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