3章 迷いの森 (7/8) ~ 魔女の正体

「こんな風にお別れすることになるなんて、残念だわ」

俺はドアノブに手をかけたまま固まってしまった。病んでいるリチェの口からはっきりと『お別れ』という言葉を聞いて、居心地の悪さを感じた。それは元気な人間が言うのとは、まったく違う意味の『お別れ』だったからだ。

「外の人とこんなに長く過ごしたのはひさしぶりだった。私は子供たちが心配するほど、あなたのことを悪い人間だなんて思ってはいない。だから頼みたくなったの。ほかのだれかじゃなくて、あなたにね」

俺は振り返った。

リチェは、恨みがましい顔をするでもなく、口で言うほど惜別の涙を流したそうにしているわけでもなく、もうそんなことに体力を使うのも、煩わしいような様子だった。

俺はどんな表情をしたらいいのかわからず、困惑してしまった。振り返ってしまったのを後悔し、すぐに逃げだしたいのに、今度は床に足がくっついたようにはなれない。

ありきたりな慰めの言葉を言うべきかどうか迷った。でも、なにを言っても、本心とはかけ離れて安っぽいような気がした。

「まだいるならなら、もう少し聞いてちょうだい。これは私のためだけじゃなくて、ティミトラとララのためでもあるのよ。あなたは、ティミトラのことも知ってるんでしょう?」

「知ってたんですか!?」

「初めてここに来た日、全部聞いた」

まったく記憶にない。リチェを唯一出し抜いたと思ってたことなのに。この調子じゃ記憶にないだけでほかのこともいろいろしゃべっていそうだ。

「ほかにはなにを話したんです?」

「大したことはないわ……。娘はああゆう子だし、ややこしくなるのが面倒だから、黙ってようかとも思ってたんだけど」

たぶんほかにも知ってて、とぼけているに違いない。

「娘さんのことは嫌いじゃないですけど、それとこれとは話が別です。俺が行ったらきっと変な顔されるし、ララだって本当のことを知ったら嫌がるでしょう? 母親と遊びで寝た男なんて。そもそも、ララは母親に置いていかれたんだ。理由はよくわからないけど、どうせ仕事か男かで娘が邪魔になったってとこなんでしょう?」

「違うの」

思いつめた表情で答えが返ってきた。

「違うって?」

なんとなく嫌な予感がしてたずねると、リチェは少し黙りこんだあと、重そうに口を開いてそもそものはじまりから話しはじめた。

「私はね、トゥミスからやってきたんだけど。むこうで取り返しのつかないことをして、そこから離れて北へ北へとむかううちに、ここにたどり着いたの。自分の人生はもう全部トゥミスに置き去りにして、終わってしまったような気がして。……それでも、幼い娘を一人残していけないということだけが、生きている理由だった。

でも、この人をよせつけない不思議な森の、美しい景色に包まれたとき、はじめて来たのにとても懐かしくて。ずっとここにいようと思ったの。

それから私は、ここを自分の思い描いている天国にしようとした。ここでは飢えも貧困もないし、だれも盗まず、だれも殺さない。お金は出回らないし、無闇に人の欲を掻き立てるような多過ぎる物もない。騙したり、中傷したり、歪みあったりもしない。善人が酷い目にあうこともなく、清い人間が清いまま生きていける。慎ましやかな幸せで心から満足し、たがいを慈しみ、みな平等で、足りないものがあればあたえあう──子供たちにはそんな天国をあたえたかった」

リチェはそこで一息ついた。自分の視線の先に過去が映し出されているかのように、虚空を見つめて、

「……でもティミトラは十五のとき、ここでの暮らしを嫌って出ていってしまったの。森に迷いこんできた流れ者の傭兵と一緒に。

娘は『自分らしく生きられる場所を見つけた』なんて言ってた。私の理想通りにしなくても、みんな自分を受け入れてくれるし、好きになってくれるって。

傭兵たちは甘いことばかり言ったみたいだけど、私は彼らが好きになったのは、彼女自身ではなくて、彼女の体と、物を焼きつくす魔法の力のことだと思ったわ。どうせ利用されるだけだからやめなさいと言ったのに、あの子は、全然聞こうとしなかった。かわりに、なんでそんな考え方しかできないのって、ものすごく怒って、『私は母さんみたいにはならない!』と叫んで出て行った。

だけど案の定二人は長続きしなくてね、私はティミトラが外で産んだ赤ん坊を、この森で育てるために連れて帰った」
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