3章 迷いの森 (7/8) ~ 魔女の正体

「ちょっと待てよ。それって、あずかったってことでいいんだよな?」

「私はそのつもりだった。ティミトラは荒れた暮らしをしていたし、子供が子供を産んだようなものだったから。まともに育てられるはずがないと思ったの。でも、ずっと私のことを恨んでるはずよ。泣いてつかみかかってくるのを振り切って、強引に連れ去ったんだから。それにたぶんもうどこかで……、自分の父親を殺したのが私だって話も聞かされてるんじゃないかしら」

壮絶な話になってきたので、俺は絶句してしまった。

「もう最期だから教えてあげる。私の本当の名前はイスノメドラよ」

「冗談だろ……?」

『プリモス古城の戦い』を舞台で観たことがあるから、だれのことを言っていのるかはわかる。イスノメドラが自分の旦那をどうしたのかも知ってる。

「この引き出しを開けて。中の宝石箱を開けてみて」

俺は恐る恐るベッドの横にある引き出しを開け、小さな銀細工の宝石箱を開いた。青いベルベットの裏地の上に、いびつな水晶のようなペンダントが収まっていた。手に取ってながめると、角度によって、虹のように様々な色の光をきらきらと反射している。

「ユニコーンの角よ。それをあげる。道に迷ったとき、助けてくれる」

どんなときも眉間に刻まれたしわが消えないので、険しい顔に見えるが、声音は穏やかだった。今までほとんど直視することを避けてきたリチェの瞳は、色あせてしまって見分けがつきにくいが、右が青で左が緑だ。髪はずっと総白髪だと思っていた。でも本当は総白髪ではなくて、地毛が白金色だからそう見えたのだ。冗談にしては手が込みすぎている。

「俺じゃなくて、ティミトラに渡さなくていいのか?」

「必要なときに、必要な人が持っているのが一番いいの。もし、あなたにそれが要らなくなって、もっと必要そうな人がいたら、そのときはその人に渡せばいい」

心の中で、素朴な疑問が湧き起こった。

「なんで赤の他人の俺にここまでするんです?」

「放っておけないのよ」

かたく結ばれていたリチェの口もとがゆるむ。やつれて青ざめた顔に、ほんの一時、綿毛のようにやわらかな微笑が浮かんだ。今まで見たことのない表情だった。それとも、ふとした折に見せていたのに、気づかなかっただけなのかもしれない。

その表情は、まるで──……

「ここでの暮らしは穏やかで、子供たちはたくさんの喜びをあたえてくれた。でも涙が出るほど幸せだったことを思い出そうとすると、いまだにあなたぐらいの歳のころを思い出すの。死にたくなるほど辛いことだってあったのにね……。

もう過去に戻って昔の自分を慰めたりはできないけど、今苦しんでる人がいたら言いたい。

愛されたいと願うことも、傷ついて心が折れそうになることも、弱さだなんて恥じて、否定する必要なんてないのよ。それはあなたが生きていて、まだ心に温かい血が通っている証拠だもの。せっかく生まれ持った大事なものを、憎しみで汚さないで。悲しみを怒りで紛らわそうととするのは、もうやめにしましょうよって」

リチェは枕に沈めた頭をこちらに傾け、

「あなたにとっては、たぶん他人なんて──私のことも──自分を傷つける悩みの種でしかないのかもしれない。でも、本当に一人っきりは、やっぱり寂しいものよ。

……もし、ティミトラと会うことがあったら、ごめんなさい、と伝えておいて。ララはあなたのことをもっと知りたがってた。いい子だから、話しかけてあげれば、きっと友達になれるわ」

それから、なにか言い残したことがないか探すような目をしたあと、安らかな口調で囁いた。

「あなたと会えて本当によかった」

使い古された台詞なのに。今まで死にかけているリチェを見ていても、割りきってたはずなのに。なぜだろう?

急に胸が張り裂けそうになった。

気がつくと、目からひとりでに涙がこぼれている。

リチェはそれを見て、ほっとしたようにゆっくりと深く息を吐き、まぶたを閉じた。

まさか、と思い、リチェの口の前に手をかざした。弱々しいが、かろうじて息はしている。

「先生。俺、医者を呼んできます。森から出る許可を出してください」

眠れる病人から返事は返ってこない。リチェはこれまでずっと医者を呼ぶことを拒んでいた。医者がやるようなことぐらい、自分でできると言ってきかないのだ。セトが回復魔法をかけようとしたときも、それなら自分のほうが強力なのを使えると言って拒んだ。確かにリチェは死にそうだった俺を一瞬で元気にしたほどの魔法の使い手だし、薬草を煎じて飲んだりもしていた。

「嘘じゃないです。必ず医者を連れて戻ってきますから、お願いです。先生?」
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