10章 刃 (1/2) ~ 刀の稽古

それから、持ってきていた掛け布で体を拭いて服を着ると、カラスから少し離れたところに腰を下ろした。体の後ろに手をついて、さっぱりした表情で明るい十六夜月を仰ぎ見る。濡れた黒髪からしたたり落ちる水滴が、玉のように輝いている。その端正な横顔には、男らしいたくましさだけでなく、妖艶さすら漂っていた。

何気なく振りむいたアシュラムと目があってしまい、カラスはとっさに月のほうへ視線を移した。

「ララは変わり者が好きみたいだ」

「ふーん、そう」

素っ気ない返事をすると、アシュラムは意外そうな顔をした。

「嬉しくないの?」

「そりゃ嬉しいよ。飛びまわって喜ぶと思ったか?」

監獄塔から脱出したときあたりから、ララの俺に対する態度は変わった。それに気づかないほど鈍感じゃない。ララは俺に気がある──別に普通の成り行きだと思った。

吸い終わったタバコを地面にすりつけ、そろそろ戻ろうかなと思っていると、またアシュラムが話しかけてきた。

「なあ、チタニア出身なら、オーロラって見たことあるか?」

「オーロラ……? 見たことあるけど」

でも、かなり昔だ。古い記憶を手繰りよせてみる。

「子供の頃、伯父さんにオーロラを見に連れてってもらった」

「チタニアならどこでも見られるんじゃないの?」

「オーロラが見られるのはクリム海峡の北だけだ。俺の住んでたところやララの家は南側だから出ないし、海峡を渡ったあとも、そこからもっと北に行ったと思うよ。雪深い中、トナカイのひくソリに乗ってさ」

「トナカイもソリも絵でしか見たことない。オーロラは綺麗だった?」

すごく綺麗だった。

両親は気晴らしのために家から遠出するなんてことはなかったし、わざわざ遊びに連れ出してくれることもなかったから、それが生まれて初めての旅行だった。いつも同じボロばかり着せられてた俺に、伯父は真新しい防寒具をくれた。俺のためにあつらえたやつだから着丈はぴったりで、どこも継ぎ当てしていなかった。それがすごく嬉しくて、クソ寒い中意味もなく歩きまわったりしたものだ。

伯父は根性のねじ曲がった人間だったが、そんな風に俺を喜ばせるようなことをしたり、父親のように振る舞ったことが、全然なかったわけじゃない。昔はそれが嬉しかったが、今ではもう封印したい過去だ。

ボール遊びをしている最中に、うっかり頭に当ててしまっても何事もない日があったかと思えば、ちょっと取りにくい球を返しただけで、ものすごい剣幕で平手打ちをくらう日がある。またあるときは、なんでもない日に欲しかったおもちゃをプレゼントしてくれて、別の日には『遊ぶ音がうるさい!』と怒鳴って目の前でぶっ壊す──本当はそんなにうるさくなどなかったはずだ。そのおもちゃはサイコロを転がして駒を動かすだけのボードゲームだったのだから。

昨日白だと言われたものが、次の日には黒になり、『前はこう言ったはずだ』などと反論すれば、『口答えをするな!』と何倍もの罵倒が返ってくる。そんな理不尽な仕打ちのために、つねに神経をすり減らし、下げなくてもいい頭を下げるのが日課になっていた。あそこにいた頃は、自分にはこうする以外に生き延びる道はないんだと思っていた。でも今なら、はっきり違うと断言できる。

その気になればどこにでも行けるし、予想もつかないようなことだって起こりうるのだ。いっそ最初からいい思い出なんて全然なかったほうがよかったのかもしれない。甘い期待や幻想がひとかけらでもなかったら、こんなに体中傷だらけになる前に、あんな場所から飛び出していただろう。

カラスは過去を振り切るように、今目の前にいるアシュラムの質問に答えた。
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