11章 デビルズ・マッシュルーム (3/3) ~ 白昼夢劇場

「レムレス! 私の下着盗んだでしょ。返してよ。気に入ってるんだから」

裸で洗面台に頭を突っこんだまま、振り返ったリュンケウスの顔を見て、彼女は「あっ」と声をあげた。レムレスは息子の名前だ。

「失礼」と、アデリーナはしどけない格好のまま言った。裸身に南洋風の派手な柄の入ったローブだけ羽織っていたが、前は縛らずに開きっぱなしだ。その気はなくても、布の下から見え隠れする体に目がいってしまう。

この『失礼』というのは、レムレスと寝たことに対して言ったのではなく、染髪中に入ってきてしまったことに対して言ったのだ。顔が半分笑っている。

「レムレスが来てたのか。下着以外にもなにか盗んでいったか?」

リュンケウスは白髪染めを流しつづけながら言った。

「さあ。私に気づかれないようにやったかもね。また来るって言ってた」

「困った馬鹿息子だ」

どうせまた小遣いをもらいに来たのだ。賭け事で借金ばかり作って気が知れない。はした金だからいくらでも払ってやれるが、自分の金をドブに捨てられているのかと思うとイライラする。

アデリーナはそろりそろりと忍びよってきて、リュンケウスの背中に胸を押しつけた。脱ぎ捨てられたローブが床に落ちる。

「なにかいいことあった? 笑ってたけど」

そう言いながら、甘えるように手をまわして、下腹部にぶら下がったものをおもちゃのようにもてあそぶ。

「笑ってたか? 俺は」

答えながら髪の水気をきって顔をあげると、目の前の鏡に、のど元にカミソリを突きつけられた自分の姿が映っていた。

アデリーナは戯れのつもりなのか、妙に生気を帯びた目でカミソリの柄を握り、驚くリュンケウスの肩越しに、鏡に映った殺す者と殺される者の姿に見入っていた。それからその鋭い刃物を、頸動脈から上腕にある古傷へ、ゆっくりと滑らせる。

そこは奴隷として売り飛ばされたときに焼き印をつけられた場所だ。あとでそれを消すために自分で火を押しつけたので、今ではケロイドになっている。

刃を押しつけられた皮膚から血がにじみ、忘れかけていた傷の痛みがよみがえる。

なおも鏡をのぞきこんでいるアデリーナの顔に、猫がねずみに爪をひっかけるような、楽しげな笑みが浮かんだ。

驚きや怒りを通り越して、なにか唐突に、我慢ならないものを感じた。普通に道端を歩いていたら通りすがりの馬車にいきなり泥水をひっかけられたときのような、果実の箱の中からたまたま手に取った一個にカビが生えていたときのような、不愉快さ──それを何百倍にもしたような感覚。

リュンケウスは不埒な娼婦の手をとって洗面台に叩きつけ、床に突き倒して両手で首を絞めた。

叩きつけられた拍子にカミソリはふっ飛び、下敷きになった女の白い乳房が、震えながらのけぞった。背中に青い爪を立てて掻きむしり、それも徐々に力を失っていく。

こんな女を殺すのは簡単だ。飼い猫を蹴飛ばすのと同じくらい。

死の淵に宙づりになって悶える顔を、間近でのぞきこみながら、このまま本当に動かなくなるまで絞めてやろうかと思った。だが、手に伝わってくる血の通った細い首の感触は、もっと別の情欲を奮い立たせた。

リュンケウスは死なない程度に手の力を緩め、痛めつけるような勢いで腰を押しつけた。

苦しげな息遣いが、甘いあえぎに変わっていく。

香料のたちこめる湿った浴室に、女の嬌声が響いた。