15章 ホタル草 パート2 (7/8) ~ 回顧展

 

 

雨期が訪れ、その日は早朝から滝のようなスコールに見舞われた。

アシュラムは傘はささずに、油紙製の雨がっぱを着て走り、宮殿の敷地内にある稽古場にむかった。近衛隊員たちは毎朝そこに集まって、武術の稽古をしたり、体力作りをしたりする。前の晩に寝ついたのが遅くても、アシュラムは決まって二番乗りにやってくる。一番ではないのは、隊長よりも早く来なければ気が済まない隊員が一人いるからだ。

そのプルナークという隊員は、アシュラムが稽古場にやってくる頃には、いつも全力で動きまわっている。とても無口で、暗い目をした男だ。笑っているところをだれも見たことがない。だからと言って害があるわけではないし、ほかの隊員とのつきあいが悪くても、もともと影が薄いので気にも留められなかった。実力の面でも特に目立ったところはない。他人よりも多く練習しているのに、基本的な運動能力も、刀の腕前も、どこをとっても人並みだった。

アシュラムに気づけばあいさつはするが、彼はほかの者のように世間話をそえたりはしない。ただ黙々と走ったり、練習用につりさげた砂袋を叩いたりしている。

そんな報われない努力家が、その日は稽古場の隅に腰をおろしていた。

「めずらしいな。休んでるなんて」

「今日はいつもより早く来てたんで」

プルナークは息をあえがせながら答えた。ついさっきまで体を動かしてたのだろう。アシュラムも走ってきたところなので、同じような状態だ。

給湯室でもらってきた温いお茶を、水差しからがぶ飲みし、プルナークにも勧めた。

健康のためにいい、という理由だけで飲んでいるものすごくまずいお茶だ。アシュラムはわざとそれを言わずに、水差しを手渡した。そしてプルナークが口をつけるのをおもしろがって見ていた。

吐き出すかな?

だがプルナークは顔色一つ変えず、普通にお茶を飲みほして、空の容器を返してきた。

「まずくなかったか? これ」アシュラムは驚いて聞いた。

「別に」

「俺は薬がわりだと思って飲んでるよ。慣れるとクセになるけど。体の老廃物を排出して、免疫力もつく……らしい」

「へえ」

「これが飲めれば、どんなにまずい飯でも平気になるって効用もある」

アシュラムはそう言って笑ったが、プルナークの表情は微動だにしなかった。

少しくだらなすぎたか……。彼はどんなことを言えば笑うんだろう?

プルナークは両膝にひじをつき、鼻先から汗をしたたらせて床を見ている。これ以上話しかけられたくない様子だ。なのでアシュラムも一人で砂袋を叩きはじめた。

しばらくすると、めずらしくプルナークのほうから話しかけてきた。

「隊長は頭にこないんですか?」

「なにに?」

プルナークは少し沈黙してから、

「いろいろ」と答えた。

アシュラムは言われた通り『いろいろ』なことを思い浮かべた。ナバフ郷のこと、リュージュとのこと、マヤとのこと、鳥の巣のこと、親戚からの手紙のこと、自分の瞳の色のこと……その他もろもろのことについても考えた。

「頭にくることなら、いろいろあるよ」

でも、そんな時はいつも、こう思うことにしてる。

──がんばれば、いつか上手くいくようになる。

「おまえもか?」と聞き返すと、プルナークは無愛想に「はい」とだけ答えた。いつもはあまり感情を映さない瞳に、思い通りにならないいらだちが映っている。

なぜなのかたずねても、彼のことだから、打ち明けてはくれないだろう。でも、わざわざ聞かなくても、いらだっている理由はなんとなくわかるような気がした。

アシュラムは木刀を持って彼に差し出し、

「手合わせしよう」と誘った。

二人で剣術の稽古をしていると、隊員が一人、血相を変えて飛びこんできた。

「マヤ様が……アトリエで首を吊りました!」
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