3章 迷いの森 (6/8) ~ マヌの神話

「いいね。俺も前からおまえのことボコボコにしてやりたかったんだ」

カシムは魔法使いだが、魔法を使っているところは一度も見たことがない。どの程度できるか知らないが、ケンカ慣れしてる分、勝てる自信はある。どうせなら素手で殴りたいところだが……

「やめなさい!」

リチェが鋭い声で止めに入った。

「暴力で解決したら、あなたも彼と同じよ」

カシムにむかってそう言った。が、内容は暗に俺を批難してる。カシムに挑発されたことより、こっちのほうが不愉快だった。誘ったのは俺じゃないのに。カシムは恥じるように目を背けたが、腹の中ではやり場のない怒りをまだ燻らせているようだった。これじゃ、便意をもよおしてるのに飼い主に首輪を引っぱられてクソできない犬みてえだ。

両者とも腹の虫が収まらないまま押し黙っていると、またババアがトンチンカンなことを口走った。

「憎みあうのを止めて、愛しあいなさい」

愛せ、なんて言われて愛せるわけねえだろうが、ボケ。おかしくなって、思わず笑ってしまった。クソハゲは、愛なんてひとかけらもない憎々しげな目つきで俺をにらみつづけている。

そのとき、イフィーが思わぬことを口走った。

「そのベッドでそうやってケンカしてると、ティミトラが戻ってきたみたいだな」

ララが驚いた顔でイフィーのほうを見たのがわかった。

その場の気まずい空気をごまかすように、リチェがパンパンと手を叩いた。

「もう遅いから寝ましょう」

そう言って椅子から立ちあがろうとしたとき、急に立ちくらんだように床に倒れた。身をかばう動作もせず、ドサッと大きな音がした。

「先生!」

「おばあちゃん!」

駆けよった弟子たちにかこまれて、リチェは気を失っていた。
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