10章 刃 (1/2) ~ 刀の稽古

風は止み、波はなく、湖はまるで、磨きあげられた黒い鏡面のようだった。いくら眺めても木の影と月が映っているだけで、中の様子はうかがい知れない。だが、実体のない明るい月影のむこうには、夜空よりもさらに暗い底なしの暗黒が渦巻いているように見えた。

自分自身の心の深淵をのぞきこむように、アシュラムは長いまつ毛を伏せて一人静かに湖面を見つめている。まだ熱のこもったその体からは、湯気のような孤独が立ちのぼっていた。

沈黙がつづくなか、カエルの鳴き声だけが聞こえてくる。

カラスは隣で新しいタバコに火をつけた。煙を味わいながら、暗い湖面をしばらく一緒になって眺めてみる。

「水面に映る月って、妖精の世界への入り口なんだってさ」

思いつきでそんなことを言ってみたが、アシュラムは無反応だった。こんなロマンチックなおとぎ話じゃ、お馬鹿な小娘にしかウケない。

「俺も妖精になりてえ」

ごまかし半分に独り言を言って、ごろんと横になった。

月に群雲がかかって、少し暗くなる。夜空に絵を描くようにタバコの火をぐるぐるまわすと、赤い軌跡が輪っかになった。

アシュラムはその場で立ちあがり、目にもとまらぬ速さで刀を抜いて一振りした。空気を切り裂く小気味のいい音がする。そして、目に見えない敵と対峙しているかのように構えをとった。カラスは刃物を見て胸騒ぎを覚えた。

上空の雲が通りすぎ、青白い月光が刃の上を流れ落ちる。空気までもが刀の一部のように、研ぎすまされていく。その間合いに小石一つ投げ入れようものなら、途端に弾き返されそうだった。まっすぐ前をむいた緑色の瞳の奥には、迷いも恐れもなく、今にも解き放たれようとしている矢じりのように、強い光を宿している。

指の先まで完全に統御された隙のない肉体は、芸術作品のようだった。カラスはこのとき初めて、その姿を、なんのひがみも偏見もなく心の底から、美しい、と思った。

アシュラムはまた刀を振ることなく、鞘に収めた。

「アシュラム……、俺もその刀持ってみたい」

カラスは思いきって近よりがたいものに手をのばすように言った。アシュラムは振り返ってまた刀を抜き、柄のほうを差しだした。

タバコをもみ消して立ちあがり、おぼつかない手つきで刀を受け取る。見よう見まねで構えてみた。

「かっこいい?」

「かっこ悪い。腰は引けてるし、背筋は曲がってるし、握り方もよくない」

自分でもなんとなく様になっていないような気はしたが、どんな風によくないのかわからない。素振りをしてみても、刀が惰性でぶれてしまって、アシュラムのようにピタリと止められなかった。

試しに刀を草むらに振りおろしてみると、おもしろいほどよく切れた。ナタで刈るように、草切れを散らしてみる。

「すげえな」

月にかざして輝く白刃の鋭さに見とれていると、アシュラムは笑って言った。

「そんなに気に入ったんなら教えようか? もう一度構えてみろ」

さっき言われたことに注意しながら構えてみた。アシュラムはそれを見て、腰に下げていたもう一本の刀を抜き、もう一方の手で手招きした。

「俺を斬るつもりで来い。本気でいいぞ」

「本当に?」

恐る恐る踏みこんでいくと、アシュラムは刀でそれを受け止め、別人のように好戦的な態度で挑発してきた。

「おまえが本気で振ったって俺にかすり傷一つつけられやしない。殺す気で来いよ」
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